第3次中欧旅行の始末
こんばんは。
ここ最近の顛末についてお話したいと思います。
10/5より私はかねてから全財産と全労力をかけて準備していた第3次中欧旅行に出かけておりましたが、祖母(母方)の急逝により、旅行全体の日程消化率およそ40%というところで、葬儀に参列するため緊急帰国を決定し、以降の予定をキャンセルし帰国しました。葬儀は無事に終わっております。
以前より私は、今回の旅行は旅行記という形で、それを見れば中欧の観光情報やグルメ情報、歴史トークのみならず、個人旅行が可能になるノウハウのようなものを発信したいと考えておりました。動画とか、同人誌とか。
様々なものを勘案しましたが、それは「Note」という有料ブログのようなもので、文章の形で行いたいと思います。
有料なので価格は実際に消化できた旅行記1日分につき100円か200円で販売したいと考えており(これから需要や情報の価値により検討します)、キャンセルとなった未遂の分はその半額または無料にて公開します。
全部無料で公開するには価値があり過ぎる情報と判断しましたので有料とさせて頂きます。すみません。
ここ数年の私が時間もお金も労力も惜しげもなく注ぎ込んだ結晶ですし、現金なことを言えばキャンセル料+緊急帰国の航空券代が…。保険から微々たる額は下りる予定ですけど赤字には変わりないので。
Note記事の公開を始めるのは12月からです。
12/2にドイツ語検定の試験が控えてますので、まずはそちらをやっつけなければなりません。
まずはオープニングとして私のプロフィールやスペックなどを無料で紹介、即座に本編の有料の旅行記1日目に繋げたいと考えています。
Noteにも書く予定ですが、以下時系列に沿って出発から今日までの私の動きを解説いたします。
なおNote上では、緊急帰国でスケジュールが変わった以降はそれを無視し、計画上の日程のまま旅行記を続けます。そこからは値段を下げるのは上記の通りです。
10/5…東京→ミュンヘン
10/6…ミュンヘン観光
10/8…インスブルック→ウィーン
10/9…ヴァッハウ渓谷日帰り旅行
10/10…ブラチスラヴァ日帰り旅行
10/11…ウィーン観光(シェーンブルン宮殿を中心に)
10/12…ウィーン観光2日目(旧市街を中心に)
10/13…ザルツブルク日帰り旅行
10/14…休養日の予定がウィーン軍事史博物館を見学
10/15…アイゼンシュタット&ショプロン日帰り旅行
10/16…ウィーン→ブダペスト
ハンガリー国会議事堂などを観光
中欧時間午前2時=日本時間午前9時頃、祖母(一人暮らし)が自宅で死亡(検死による。死因は心不全)
↓
中欧時間13時頃=日本時間20時頃、私の母が祖母と電話が通じない事を不審に思い祖母宅を訪ね、第一発見者となる
↓
中欧時間16時半頃=日本時間23時半頃、ブダペスト観光中の私に、父より訃報が電話で入る
10/17…中欧時間の朝、起床して帰国を決定
夕方まで、昼休憩を除き以後の予定のキャンセルおよび帰りの航空券の手配
父より葬儀の日程の連絡
10/18…終日ブダペスト観光(盛りだくさん)
10/19…ブダペストからアエロフロート・ロシア機で帰国(モスクワ経由、機中泊)
10/20…午前中に成田空港着、遅めの昼食後、安置されている祖母と対面
10/21…通夜
10/22…告別式
→10/25現在に至るという感じです。
本来なら旅行は31日までの予定でした。
母からは訃報の後に旅行の続行を希望するLINEがあり、その姉にあたる伯母も同意見とのことでした。また、亡くなった祖母も私を大層可愛がってくれた上に、まず人のことを考える性格でしたので、緊急帰国は故人の意に反すると考えました。(それは母・伯母も共通認識)
私の母は祖母にとり次女ですが私は初孫にあたり、長女にあたる伯母の結婚式の日にちょうど私は産まれました(間が良いのか?悪いのか?)。式場から病院へと親族一同の大移動となり、その先頭でまだ電車の中なのに走り出していたという祖母の話を聞く度、目頭が熱くなります。
しかし、中欧旅行は社会復帰の暁にお金を貯めればまた来られますが、祖母との正式なお別れは今しか出来ない上に、ちゃんとお別れしなければきっと後悔すると判断し、我儘ながら帰国を決めました。私が旅行を終えるまで訃報を隠すことも出来た家族が、ちゃんと知らせてくれた意味も考えねばならない…。また、何かがありこの先には進むなという天命なのだとも考えました。
そしてここからは絶対に他所では黙っているつもりの極秘事情なのですが。上記の事情以外にも、私なりの事情があったのです。
実はオーストリア滞在中に、物価が高いのに浮かれてお土産を買い込みすぎて残金に不安を覚え始めていたこと(節約すればなんとかなる範囲ではありましたが)と、予想を上回る疲労を感じていたことで、先行きが怪しくなり始めていた頃合いだったのです。
何もかもを投じた旅行が私自身のせいで失敗に終われば?
せっかくまた元気になってきたのに、準備不足で臨んで性も根も尽き果てて帰り、数ヶ月ボロ雑巾のようになった、前回の第2次中欧旅行と同じ轍を踏んだら?
そんな時に訃報が入り、率直に言って私は、人のせいで帰るための絶好の理由が出来たのでは?と考えてしまったのです。
我ながら最低な野郎です。自覚はありますし、良心の呵責を受け流せるほど私のメンタルは図太くありません。ここ2日半ほど、かつての鬱状態のように体調最悪の寝たきり状態でした。もちろん単純に祖母の死が悲しすぎるのもあります。
しかし、理由はどうあれ私が鬱になって前に進めないでいるのが、祖母の一番望まぬところであるし、そもそも祖父母や親が自分より先に死ぬのは当然で、乗り越えなければならない壁であると、母と話し合い、受け止める覚悟が出来たつもりです。それでこの報告文を書いています。
もちろん中欧にはまだまだ未練があります。
アイゼンシュタットをちゃんと観光したい。
汎ヨーロッパ・ピクニック記念公園に行きたい。
ハンガリーの地方をもっとあちこち見てみたい。
トカイワインのエッセンシアを口にしてみたい。
チェコでビールを浴びるほど飲みたい。目標は1日4リットル。
ブドヴァルのビール工場見学に行きたい。
などなど挙げればキリがありません。
近い将来にまた旅行としてチェコやハンガリーに出直すか、はたまたドイツ語を活かしてウィーンに1年間ワーホリで滞在して各地に足を伸ばすか。
いっそ日本で生きていくのをやめて、向こうに移住するか。
あるいはハンガリーで通りすがりのとある歴史学博士に囁かれたのですが、二重帝国ウィーンのビールの社会史というテーマで研究するため大学院に入り、日本語で発表するか。
自分探しの旅だったはずなのに、むしろ選択肢が増えてしまいました。参ります。
しかし2年半前までのように、大学を出たら定年まで東京で社畜として馬車馬のように働くという自ら持っていたイメージや、日本でよく言われる人生の「レール」からは解き放たれました。
低く低く見積もっていた自分の可能性が、上を見ても下を見ても限りがないと気が付かされました。
なら上を向いて。中欧の人たちのように、適度にゆるく人生をまず楽しんで。生まれ持った、「好き」に特化した学習能力や生真面目さを活かして。一歩一歩進んでいこうと思います。
まずは保険金の請求書書いて、お土産持って挨拶回りして、ドイツ語の勉強をして、バイト探して…ですね。
自分が何者になる人間なのか、そも何者かになり得る人間なのか、まだ分かりません。
ですが自分なりの生き方を手探りでやっていけば良いのだ(怖いけど)と分かりました。
そして何より、現在25歳というギリギリの若さを武器にして積極的に動いていかねば何も始まらないと。
そんなところで、近況報告とさせて頂きたいと思います。
ここまで拙い文章をお読み下さり、感謝に堪えません。
ではまた。