ヴァーツラフのブログ

改名しました(2020/09/05)

Eiger中欧旅行記②中欧の魅力と第1次旅行のあらすじ

こんにちは、今回は(前回比で)スピード更新ですよ。

予告とは違ってしまいますが、今回は第1次中欧旅行のあらすじをざっくりお話ししたいと思います。

いやぁ、気付いてしまったんです。予告通りにしたら、「②で1日目って何か変じゃね??しかもそのx-1みたいな気持ち悪い状態がずっと続くんじゃね??」と。

というわけで、今回は急遽第1次旅行の話といきたいと思います。今しとかないと永遠にこのブログで話す機会無くなりそうだし…。アッハイ、ごめんなさい、前はそこまで考えずに①を計画編で書いてしまったんです本当すいませんザンネンです物投げないで…。

まぁ次の旅行記からは必ず第2次旅行を1日目から書いていきますので、なんとか。

 

でもその前に。

中欧のどこが良いのか?」という話をしたいと思います。それはこのブログをお読み頂いた皆様それぞれにふわっと感じて頂ければと思っていたのですが、明確にしといた方が良いような気がしましたので。これを念頭に読んで頂ければ幸いです。

 

まず「中欧」とは現在では一般的にドイツ、スイス、リヒテンシュタインオーストリアハンガリーチェコ、スロヴァキア、ポーランドのことを指しますが、ここでは私が行ったオーストリアハンガリーチェコの三国ということにします。

 

私にとって中欧とは歴史上好きなオーストリア=ハンガリー二重帝国がかつて存在した場所であり、その中核と言える地域であります。

ですが、それは中欧の「過去」であって、「現在」の中欧はどうなのか?歴オタにとって何より大事なそのリンクは果たして上手くいくものなのか?と実際に行ってみるまでは思っていました。

で実際「現在」の中欧に行ったらどうだったのよ?というわけですが、いやぁ最高ですね。まぁ今の私それ以外の海外をまだ知らないんですけど。でも初回にして大当たりを引いたのではないかと思います。

 

中欧のここが良い!

・歴史的風景と現代的なインフラが共存している

ウィーンの代名詞的存在のシュテファン大聖堂は1359年に65年がかりで完成し現存しています。日本で言うと鎌倉時代ですね。

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ヨーロッパにはよくあることですが、そういう歴史的建造物が当たり前のように街中にデーンと建っています。

その一方でただボロい街というわけでなく、開発は進んでいます。ウィーン中央駅は2014年に完成したばかりで、まさに最先端です。

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ウィーン、ブダペストプラハいずれも電車地下鉄路面電車バスともによく整備されており、すぐ行きたい場所に行けます。本数も多く定時性も良好です。

また、二重帝国臣民にはたまらないのですが、ブダペスト地下鉄1号線などは二重帝国時代の1896年に完成した物が今でも現役です。歴史の中に自分が飛び込んだような感覚は、歴史好きには無上の悦楽であると思います。

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・食べ物と飲み物のレベルが高い

ぶっちゃけ我らが日本はこの点において世界トップクラスにありますが、それでも中欧はそう見劣りしません。

料理ではどの国も内陸国なので肉料理が大変美味しいです。

ハンガリー料理は特筆すべき存在です。ヨーロッパ料理にありがちな脂っこさやくどさが全然なく、ふんだんに使われる真っ赤なパプリカは、食欲をそそります。

そもそも名物じゃなくても、ホテルとかで痛感するんですが、チーズやソーセージが旨い!

また、街中によくあるスタンドにふらっと入ってもケバブとかが凄く美味しいですね。

酒飲みには大事なことですが、お酒は最高です。特に良いのはチェコのビール「ピルスナーの王」ピルスナーウルケルと、ハンガリー琥珀色をした極甘の「王者のワインにしてワインの王者」トカイワインでしょう。

 酒が飲めなくても、カフェ文化発祥の地ウィーンのコーヒーとスイーツにはきっと満足出来るはずです。ウィンナーコーヒーの名前を聞いたことがない人はいないでしょう。本物を知ってるかは別として。

つい最近セブンイレブンから3日間だけ限定で発売されたザッハトルテはまだ皆様の記憶にも新しいのではないでしょうか。これはウィーンのお菓子です。

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・そしてそれらが恋しくなったら日本(主に東京)でも味わえる

のがまた大きな魅力です。ここらへんは私が一番熱くなるポイントなので、これだけでいずれ記事を書きますし、知り合いの方にはいつでもご紹介します。

 

・情緒豊かであり、景色が良い

歴史的風景に加えて世界最先端とまではいかない街並みに加え、東京などでは廃れてしまった路面電車トロリーバスが向こうでは未だ現役です。まぁぶっちゃけ非効率でも無くす余裕がないってのはありますが。

 景色の良さといえば、「ドナウの真珠」ことブダペストの夜景は一見の価値アリです。「百塔の街」プラハもまた良い。

 

・治安が悪くない

私は全く不安な思いをしませんでしたし、中欧は西欧に比べてテロの件数もずっと少ないです。もっとも、私が安全のために用心しまくったり危なそうな場所には近づかなかったというのはあります。

 

・割と清潔

不快なことは基本ありません。街中にゴミ箱が充実しているためポイ捨てはほとんどなく、よっぽど変な所に入らない限り悪臭もありません。

トイレは有料のところか飲食店のを使いましょう。無料公衆トイレは…あの…その…。

海外の水道水を飲むのは基本NGですが、オーストリアではアルプスの湧き水が蛇口まで流れるように整備されています。これは飲んでも美味しくて、大丈夫でした。

また、もし旅先で何かあってもまともな医療を受けられます。ですが万一に備えて海外旅行保険には必ず入りましょう。チェコ渡航する際には保険への加入が義務づけられています。

治安の良さや清潔さでは日本は世界でも群を抜いているので、同レベルは基本求めないでください。

 

・移動しやすい

そもそも中欧はともにEUの構成国であり、シェンゲン協定に加盟しています。

シェンゲン協定の規定により、一度シェンゲン圏に入って入国審査を受ければ、帰りでシェンゲン圏からの出国審査を受けるまでは、シェンゲン圏同士の国境を越える移動にはフリーパスということになります。(※陸路なら)

ハンガリーで入国し、オーストリアに移動し、チェコに移動し、チェコで出国審査が済むまでは審査なしであり、シェンゲン圏のどこにも行きたい放題です。

国境で面倒なチェックは行われずスムーズな旅が可能です。

 

 ・英語

各国首都では割と通じます。

向こうもネイティヴではないために簡単な言葉で身振り手振りを交えて話してくれるため、かえって通じやすいです。

また、ドイツ語話者の英語は音が低めで聞き取りやすいことで有名ですが、ドイツに近いからか同様に聞き取りやすく感じました。

 

 ・物価の安さ

ハンガリーチェコのみ。オーストリアは除く。

スーパーで買い物したり電車に乗ると分かるのですが、物価は安いです。

例えばプラハからプルゼニから110km特急に乗ったら(2等車)約1000円でした。

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プラハのスーパーで、缶ビール、ミネラルウォーター×2本、ソーセージ1本、サラミとチーズ、オリーブを買ったところ約800円でした。

特にチェコのビールは安いです。(かつ極めて美味)

 

パッと思いつくのはこのあたりですが、良いところばかり挙げるのは不公平なので、悪いところも。

 

中欧のここがダメ!

・サービスの質が低い

旧東側であるハンガリーチェコは特にそうです。

でもこれは日本が高すぎるので慣れましょう。

そもそもの考え方として、「客と従業員は対等である」ので、無駄にペコペコしたり愛想良くしないし、何かしらトラブルが発生したら客に迷惑がかかるのもやむなしというのがあります。

でも、本来これが正しいと思います。「お客様は神様です(誤用)」 ?ちゃんちゃらおかしいですよ。

飲食店の店員の感じが悪い?相手は人間です。自分に何かしら原因は無いですか?ほならね、ご飯のために土づくりから始めて料理までやってみるか?って話ですよ。

 

・チップの文化がある

飲食店やタクシーでは価格にサービス料が含まれていないので、価格の10%ほどを上乗せして渡すのが礼儀です。

このため、支払いの時にその分を計算したり、その分のお金を用意したり、逆にお釣りは良いですよという事が必要です。

必ずしも渡す必要は無いのですが、チップは礼儀というか、向こうの従業員は客の自分のサービスに対する通信簿と考えているので、必要な場合渡さないのはやはり失礼です。

とはいえ、過剰に渡したり、チップを払う価値が無いと判断した場合は渡さなくても大丈夫です。

また、タクシー等ではチップの小銭の代わりにちょっとしたお菓子というのもアリです。個包装の飴玉など有効です。

 

・通貨がバラバラ

三国ともにEUですが、統一通貨ユーロを導入しているのはオーストリアだけです。

未だハンガリーフォリント(HUF)、チェコはコルナ(CZK)という独自通貨を使っていますので、両替や計算が手間です。日本でも両替の扱いがある所は少なく、成田空港などの大きな両替所でないと難しいでしょう。

普段使いの日本円財布に加え、ユーロ財布、フォリント、コルナ財布、万一に備えてイザとなったら犯人に渡す用の財布などが必要になりますので、そこは面倒です。

ただ、ハンガリーの首都ブダペストチェコの首都プラハではユーロ支払いが可能なことが多いですが、その場合は割増での請求なことが多いので注意しましょう。

さらに、間違っても両替所ではない街中で両替を人から提案されても受けないでください。

ボッタクられるのは当たり前、最悪ニセ警官とグルで「今不審者と両替しただろ、お前の財布も調べさせて貰う」と絡まれ、チェックの際に現金をスッと抜かれてしまうことがあります。

徹底した用心や予防策こそが楽しい旅行を担保してくれるのです。杞憂で良いのです、心配し過ぎて悪いことはありません。

 

・言葉もバラバラ

お前ら本当に昔一つの国だったんだろうな⁉︎と言いたくなりますが、どの国も自国の言葉で、しかもあまり似ていません。

強いて言えば英語やドイツ語がやや通じます。

 

・買い物しにくい

日本とは違い自販機はほとんどありませんし、コンビニもありません。

小売店やスーパーで買うことになりますが、原則24時間営業はやっていません。だいたい20時には閉まります。

ちなみにウィーン、ブダペストプラハの地下鉄の終電は23時から23時半です。タクシーは高くつきますしあまり信用も出来ないので、夜の行動は早めに切り上げましょう。

 

・外食は高くつく

物価は安いという話をしましたが、欧米では外食=贅沢という文化があるので、外食すると高くつきます。もっとも、日本とは違って飲食業でも適正な給料が入ってホワイトということになるので、これは甘受するべきでしょう。

オススメはレストランをメインの名物料理プラス一杯くらいで済ませ、スーパーで酒水つまみを買ってホテルの部屋で心おきなく飲むことです。金銭的にも安全的にもこれが正解でしょう。

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 これくらいでしょうか。

 

 

 

それでは。

第1次中欧旅行は、2016年2月28日〜3月5日までの7泊8日で、ハンガリーオーストリアチェコと回った旅行です。大学の卒業旅行でした。なんで行こうと思ったのか詳しくは⓪で!

 

HISで添乗員さん付きの団体ツアープランに(ぼっちで)申し込みました。初海外で自分1人で旅行する勇気は無いですからね。

ツアーは全部で30人くらいいて、親子とか友達とかカップルでの参加が多く、ぼっち参加者は私込みで2人しかいなかったですね。

いいもんぼっち慣れしてるから寂しくないもん。むしろ気楽だもん。

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1日目はまず成田空港に集合し、アエロフロート・ロシアの飛行機でモスクワ経由でまずブダペストへ飛びました。なので海外童貞は実はロシアに捧げたんですよね。ううむ。

モスクワで飲むコカ・コーラは資本主義の味がして大変美味しかったです。

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その日はブダペストの空港からそのままホテルへ。飛行機の遅れとか、受託手荷物返却のターンテーブルが動き始めるのが異様に遅かったり、団体ツアーゆえの行動の鈍重さとかで、部屋への到着は現地時間で23:30くらいで、8時間遅い日本から来たので肉体的には徹夜明けと同じくらいの感覚になるわけで、疲れ果てて即寝ました。

 

2日目はブダペスト

熟睡していた早朝にけたたましい音楽を流され叩き起こされました。ホテルが面してる大通りをワゴン車がハンガリーの第2の国歌「ラーコーツィ行進曲」を大音量で流して去っていきました。

https://youtu.be/0408XiC9woA

↑どうぞ勇ましい曲調を大音量でBGMとしてお楽しみください。

日本で言えば黒塗りの街宣車が軍艦行進曲か抜刀隊を流していくようなものでしょう。

朝食に集ったツアー参加者は皆強烈な目覚ましにポカンとしておりました。

添乗員さんと現地ガイドさんに連れられて、名所をかいつまんで案内してくれます。

ガイドさんの話は全身を耳にして必死に聴いていました。初めての海外で憧れの中欧の地が眩しくて仕方なく、撮影スポットはもちろん、何でもないようなATMや信号機やゴミ箱まで撮りまくりましたね。

展望台的な存在として漁夫の砦というのがあるんですが、そこが最高でした。そこからドナウ川と国会議事堂をバックにパシャっと。あ、首から胸にかけての紐は旅行中貸与されていたオーディオガイドのネックストラップです。

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団体行動が終わってからは国会議事堂に行ったのですが、内部の見学はツアーに参加する必要があり、英語のツアーが既に終わってしまっていて泣く泣く見学を諦めました。

 

その後は軍事歴史博物館に行ったのですが、そちらは冬季はガイドブックの時間より2時間早く閉まるとかで着いた時は閉館3分前で門前払いとなり大変悲しい思いをしました。

 

次はブダペスト名物の温泉に行ってみようと思い一番有名なゲッレールト温泉に行ったら、ここは構造が複雑すぎて併設のホテルと温泉の入り口が分からず、体当たりの小学生レベル英語(※私のTOEICのスコアは大学受験直前で105/990)では状況を解決出来ず玉砕し転進を余儀なくされました。

 

そこで次に近い温泉のルダシュ温泉に行こうとしたのですが、正確な場所がよく分からないのでゲッレールト温泉の脇にいたタクシーに乗ってみたのですが、これがどうも温泉と駅の送迎専用かホテルの客専用かよく分かりませんでしたが乗車を断られてしまいました。

どうにか運転手さんを拝み倒してルダシュまで運んで貰えて、ゲッレールトに比べればずっとシンプルなルダシュの窓口は根性で突破しました。

コインロッカーかキャビン(個室)が選べたのでキャビンを選択。いざハンガリー風呂を楽しみます!

ハンガリーに限らずヨーロッパの温泉施設に行く時は水着タオルとビーチサンダルを持っていくのがお約束です。半ばプールで、当然混浴になっていますので。

肝心のお湯は、広間の中央にメインの向こうの人好みのぬるいプールのような深い浴槽があり、周囲の隅には水風呂から日本人好みの40度くらいのまで色々な小さい浴槽があります。

私はこの40度のところを満喫しました。

 

風呂上がりには飲食コーナーを見つけたので、スッキリしたドイツビール「レーベンブロイ」とハンガリーの揚げパン「ランゴッシュ」の塩とおろしニンニクのフレーバーの組み合わせを満喫。

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食後は日もとっぷり暮れた夜に煌々とライトアップされた鎖橋を渡り、ドナウ川を徒歩で越えて、今度は夜間ツアーの集合です。

 

ブダペストが真髄を見せてくれるのは夜の帳が降りた後。規則的な高さ、色のライトアップがドナウ川両岸の建築物や名所を照らし出し、幻想的な風景に包まれます。これこそが「ドナウの真珠」ーー。

真珠は川に降って船から見るも格別ですが、この時のツアーは陸上からバスでポイントを巡ってから、全てのポイントが上から見渡せるゲッレールトの丘へ向かいました。

その丘からの眺めがこちらです。

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この感動の眺めの後はホテルに戻って幸せに包まれたまま就寝しました…。

 

次の日はまだまだ見足りないブダペストを断腸の思いで発ち、途中ハンガリーの名所を経由しながら団体のバスでウィーンに入ります。

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立ち寄るのは、オーストリアから東西に流れてきたドナウ川ハンガリーで南北に流れを変えるドナウベント地方にある、芸術家の町センテンドレと大聖堂のあるエステルゴムです。

この二ヶ所に加え、私は行ってませんがヴィシェグラードという所が有名です。

「高い城」という意味の地名で、ちょうどドナウ川が折れ曲がる地点を見下ろすように、かつて城が築かれていました。

ヨーロッパに詳しい方なら「ヴィシェグラード・グループ」という言葉を聞いたことがあるかと思いますが、ここから来ています。

 

センテンドレは芸術家の多い小さな町です。

近世ハプスブルク家の「軍政国境地帯」(これ知ってる人はめっちゃマニアですが)の一部であり、その名残からセルビア人が混住しており、教会もカトリックセルビア正教のと2つあります。

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建物の壁の旗にご注目!

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エステルゴム大聖堂はハンガリー初代国王「聖王」イシュトヴァーン1世が戴冠式を行った場所で、ハンガリー=カトリック教会の総本山となっています。

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また、大聖堂の下にはドナウ川が流れ、脇の鉄橋マーリア・ヴァレーリア橋を渡ると隣国スロヴァキアのシュトゥーロヴォという町です。

まぁ元々スロヴァキアという国自体がハンガリーの一部bゲフンゲフン。

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そこの川を渡るともう違う国、というのは日本人にはなかなか理解できない世界で、この不思議な感覚も狭いところに国が密集する中欧旅行の魅力です。

もう一度ハプスブルクのもと一つの国にまとまり直せば良いのに。ドナウ連邦化待ってます。

 

 エステルゴムから車で1時間半ほどでハンガリーオーストリア国境に、さらに1時間ほどでウィーンに達します。

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それでその日の行程は終わりで、翌日はウィーン観光です。

 

 

4日目はウィーン。

ハプスブルク臣民の私にはまさに聖都。

天候は雹混じりの曇り空でしたが、私の心は日本晴れ。日本じゃないけど。

BGM:https://youtu.be/ENETOpNpIiI

ハプスブルクの夏の離宮シェーンブルン宮殿

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ホーフブルク(王宮)と

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ウィーンの目抜き通りにして歩行者天国のケルントナー通りを、始めのオペラ座から終わりのシュテファン大聖堂まで歩き、解散して自由行動になりました。

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この自由行動では嬉しいことがありました。

なんと、小学校以来の友人とウィーンで会えたのです!

小学校以来の友人なのでお互いの東京の家は徒歩5分と離れていないのですが、偶然にも2人ともウィーンを同じ時に訪れることがFacebookで判明したので落ち合うことになっていました。

彼は音楽に堪能でドイツ語も出来て、本場のオペラを見るためにヨーロッパを旅していました。

 

彼と合流し昼食をとり、ウィーン中央駅の端っこをチラ見しつつ、まずは私の趣味で軍事史博物館へと向かいました。

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このウィーン軍事史博物館は元々武器庫だったのを博物館に改修した建物で、中には歴史ミリタリーマニア垂涎の展示物が実物ばかりゴロゴロあるとのことで、ウィーンに行くなら絶対に外せないと思っていました。事実その通りでしたので、これを読んだあなたが行く時は必ず行ってみてください。

歴史もミリタリーも齧る臣民の私には天国のような場所で、写真を500枚くらいバシャバシャ撮りまくり(※入場料とは別に定額の撮影料がかかります)ました。

歴史は詳しいがドイツ語は分からない私と、ドイツ語は出来るが歴史は分からない友人は強力なタッグになって、展示物を夢中になって見ていました(私がおんぶにだっことも言う)。

色々素晴らしい物がありますが、一番はWW1の引き金となったサライェヴォ事件で殺害されたフランツ・フェルディナント大公がその時着ていた軍服と乗っていたオープンカーの実物の展示です。

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その後は友人の趣味でベルヴェデーレ宮殿に向かい、高名なグスタフ・クリムトの絵画「接吻」を見に行きました。

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私は絵とか芸術のことはサッパリですが(見たり聞いても「ほえー」で済んでしまう)、クリムトは二重帝国時代のウィーンの世紀末文化を担った1人であり、官能的な絵が特徴です。

 展示されているベルヴェデーレ宮殿オーストリアの名将プリンツ・オイゲンにより建てられた宮殿です。オイゲンには嗣子が無かったために遺産は宮殿ごとハプスブルク家の所有となりました。

 

彼と分かれてからは夕食に名物のヴィーナー・シュニッツェルを堪能し、

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さらに夜食にケバブと白ワインを買ってきて、ホテルの部屋で楽しみました。

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これにてこの日は終了。

 

 

5日目はウィーンからプラハへの移動日ですが、道中寄り道をしてチェスキー・クルムロフへ行きました。

チェスキー・クルムロフはチェコの南西部にある小さな町で、誰が言ったか「世界で一番美しい町」として有名です。歴オタには「ズデーテンラントの一部だ」と言うと通りが良いでしょうか。

こぢんまりと風情のある可愛い町並みで、町のサイズに比べて大きな城を擁し、RPGの中に入り込んだような感覚がします。

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ここではまず名物のマス料理を食べましたが、やはりチェコは肉料理の国だと痛感しました(婉曲表現)(そもそも日本の魚料理が異次元なので比べてはいけない)。

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 ここで一度団体行動を解散、個人自由行動になったので

チェコの町の典型的な広場や

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城から町の眺めを堪能してから

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偶然見つけた骨董品店に入りました。

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(ハプスブルク帝国とドイツとソ連の支配を受けたここなら、私にとってのお宝が必ずある…!)との確信がありました。

店員さんに「I like Austria-Hungary empire and German army on WW2!」というガバガバ英語で決死のアピールを敢行したところ、果たしてお宝の山でした。

当時の小物やら家具やら、実物の勲章とか手紙とか卒倒しそうになるお宝が出るわ出るわ。

とは言っても予算は全然無いので、特に目についたこのメダルを購入しました。3000円ちょっとでしたね。

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1898年に発行された皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年記念メダル(当然実物)です!

お宝を手に入れて私は意気揚々とツアーのプラハに向かうバスに乗り込みました。

 

なお、チェスキー・クルムロフは田舎なため、ウィーン〜プラハ間の鉄道や高速道路からは離れた位置にあります。

ウィーンやプラハから鉄道で行くには、チェスケー・ブジェヨヴィツェという都市で乗り換えが必要です。しかもチェスキー・クルムロフまでの路線はよく止まって代替輸送が多く、しかもチェスキー・クルムロフの駅から町までは徒歩30分というナメた位置にあり、道中も段差が激しいと超悪条件です。

対してバスターミナルは町の目の前にあり、プラハ市内のAnděl(アンギェル)のバスターミナルまで直行で約3時間で行けます。

プラハのバスターミナルは2つあり、もう片方のFlorenc(フローレンツ)の方がメインで、発券機能はそこに集約されているようで要注意です。

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そのプラハのAndělのバスターミナルに第2次旅行で迷子になって入り込んでいたことを後から知ったので、今後のために役立てたいと思います。

 

さて、ツアーのバスは一路プラハに向かい、夕方に到着しました。

まずはチェコのビアホールに通され、ここでは伝統の黒ビールとローストダックを、アコーディオンの「ビヤ樽ポルカ」生演奏付きで堪能しました。

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ホテルに着いてからは、ツアーで一緒になったウェイな感じの同級生たちのグループと気が合いそうだったので、ホテルの部屋で酒を酌み交わすことに。

地下鉄ひと駅離れたスーパーまで買い出しに行っての部屋飲みです。(物価の話に出したのはここです)

彼らの調子の軽さといったら浮かれてるとしか言えないレベルでしたね。チェココルナのことを延々とチョココロネチョココロネと。

 

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この時一緒だったのは私と同じ大学卒業生の男女2人ずつ。おったまげたのが、その女子の1人が、私のバイトしていた時の同僚の知り合いというではありませんか。世界って狭く出来ているもんですねと一同爆笑、プラハの夜は楽しく更けていきました…。

 

 

6日目はプラハ観光です。

BGM: https://youtu.be/3G4NKzmfC-Q

まずはプラハ城。有名なゴシック建築にしてプラハのシンボル、聖ヴィート大聖堂にてチェコの代表的な画家ミュシャ(ムハ) Mucha のステンドグラスを拝んできました。

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その後は毎時0分ちょうどに行なわれる正門の衛兵交代式を見学しました(10〜18時。12時は特別派手)。

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この頃警備員になる直前の私はこんな動作が出来ればなぁと考えて見入っていました。実際商業ビルでのお仕事だったので役立ちました。

 

その後はプラハ城を出て、城下町にあたる「小地区(マラー・ストラナ)」 を歩いてカレル橋へ。

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カレル橋はプラハを貫くヴルタヴァ川に架かる砂岩の橋で、1402年に完成しました。

橋の両端には塔が建ち、橋の欄干には左右15体ずつ計30体の彫刻が並んでいます。橋には絵やアクセサリーを売ったり似顔絵を描く露店が数多くあります。また、橋が砂岩製のため人間しか通行出来ないルールがあります。

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チェコ語名のヴルタヴァ(意味は「荒々しい」)川と言うと何ですが、日本人にはドイツ語名のモルダウ川の方が馴染み深いでしょうか。

合唱曲にモルダウというのがあり、私も中学校で習ったのをよく覚えています。もちろん橋の上で小声ですが歌いましたよ。「なつかしき河よモルダウの〜♪」

ちなみに先ほどのBGMがそれです。

チェコの音楽家ベドルジハ・スメタナ作「我が祖国」の第2楽章ですね。(本来はチェコ語名の「ヴルタヴァ」)

 

ちょっと偏差値を稼いだところで次に行きますと、カレル橋を渡ってツアー一行は旧市街へ。旧市街を突っ切り、旧市街広場の天文時計に達しました。

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ここでも毎時ちょうどにからくり時計が動くショーが見られるのですが、この時は時間を外していました。偶然にも結婚式やってましたね。末長くお幸せに。

 

団体行動はこれにて終了で、個人行動開始です。

まずはとにかくお腹が減っていたのでレストランを探していたら、日本の国旗が描いてある=日本語表記メニューがあるレストランを発見したので突撃。

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すっかり虜になったローストダックに齧り付き

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ペロリと。

こういう骨付き肉の深追いは昔から大好きで得意なのですが、この食いっぷりを見て店員さんがリキュールを奢ってくれました。たぶん杏とかだと思いますが、ふわっと豊かな香りがしました。Děkuji (デェクイ、ありがとう)!

 

この後は旅の疲れが溜まっていたので一度ホテルに引き返してくたばっていました。

が、ツアーの添乗員さんが自由参加で土産物屋に案内してくれるとのことだったので再び旧市街広場へ…行こうとしたのですが、路面電車を違うのに乗り間違えてガチの迷子に。偉大なるiPhoneの地図アプリで現在位置を割り出して徒歩行軍を始めました。

(今にして思えば、なんでそのまま逆方向に乗って一度引き返さなかったんだろう…)

 

その途中ではプラハ本駅をチラッと拝んだり

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偶然にもこのような歴オタ歓喜のパネルを発見したりしました。

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どうにかヴァーツラフ広場の南端にたどり着き、そのまま歩いて目的の旧市街広場まで到着しました。5kmくらい歩きましたかね。

もともと先に夕飯を食べていこうとして早く出ていたので無事ツアーの人たちとは合流出来ました。

 

そのお土産物屋とは、チェコの名産ボヘミアンガラスのお店「Erpet(エルペット)」。

各国語に対応し、日本語も出来る店員さんがいます。

血の代わりに魔除けになってくれるという綺麗な赤のワイングラスを自分用に購入し、

(私白ワイン派なので全然使ってないですが)

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私のガバガバ卒論を通して卒業を認めてくださった愛煙家の大学のゼミの先生のために透明な小さい灰皿を購入しました。

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この時はお会計が免税になる額に達したので書類を書きました。

免税というのは、免税店では税金がかからないのではなく、一定額以上使うと税金分を返金してくれるシステムがありその手続きのために書類を用意してくれる店のことを言います。

返金を受けるには書類に記入し、空港の窓口に持っていったり郵送して申請しなければなりません。

返金も、その場で手数料引かれても現金での返金か、あるいは数カ月かかってもクレジットカードから銀行口座への返金か選べます。

ちなみにこの時私は旅行を終えて5日でサークルの同期と卒業旅行で水戸・大洗ガルパン聖地巡礼に行く予定があり、現金がすぐ必要だったので前者にしました。返金はユーロなので、それを日本円に替えるのにまた手数料がかかるので腹立たしくはありましたが。

 

その後はまたツアーから離れてショッピングと夕飯でした。夕飯は手軽にヴァーツラフ広場の北端にあるスタンドでソーセージとパンとホットチョコレートで済ませました。

折しもまだ寒い3月頭、ホットチョコレートが冷えた体に沁み渡りました…。

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その後は実はホテルの部屋にツアーで一緒の仲良くなった女子(前日のウェイグループとは別)をお招きして飲みなどドキドキイベントがあったのですが、まぁ私の不甲斐なさのために何事も無かったですハイ。LINEは交換したけど。

 

 7日目は帰路。プラハヴァーツラフ・ハヴェル国際空港から行きと同様モスクワ経由で帰国しました。

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プラハを昼に、モスクワを夜に出て機中泊でした。

人生初の機中泊では全然寝付けず、フラフラにながらもずっと起きていたのですが、おかげで夜明けには魂を洗われるような絶景が見られました。

BGM: https://youtu.be/_rjc0G1qWXA

(崩壊する瀬戸際のもうどうにでもなーれ的な雰囲気でのやたら感動的なソ連国歌)

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8日目の午前に成田空港に到着しました。

日本の海岸線や山々、成田空港の「おかえりなさい」の文字を見た時は感動でした。

 

その後はちょうど大学のサークルの活動日だったので、その足でわざわざ大学に寄ってお土産を配りに行きました。大学周辺の登り坂が満載のキャリーケースを持った身には非常に酷に感じられました。

いやぁ、左側通行だったり、自販機がそこら中にあったり、異様な人の多さに心底驚いたのが昨日のことのようです。

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大学で一息ついて飲み食いした、セブンイレブン綾鷹と明太高菜しらすご飯が異様な程に美味しく感じられました。人間なかなか祖国や地元からは離れられないのだなぁ…と考えさせられました。

 

そうして旅行は大成功に終わり、私はますます中欧への愛を深めることになったのでした。めでたしめでたし。

 

 

これにて第1次中欧旅行はおしまいです。

長々となってしまいましたが、お楽しみ頂けたでしょうか?

 

これからは第2次旅行の模様を1日1記事にして書いていきたいと思います。

が、フォロワーの方から「あなたの中欧に関しての知識をブログで披露してはどうか」との提案を受け、現在私が非常にその気になっていますので、次の記事はその第1弾としようと考えております。

 

いや、ほんと今回長すぎたし詰め込めすぎたので次回からどうにかします。旅行記と薀蓄語りを分離出来れば実際一記事ごとの文量は激減するので。

 

それではまた次回!