Eigerのブログ

オーストリア臣民Eigerのブログです

Eiger中欧旅行記⓪

こんにちは、Eigerです。

今回は私が2017年6月21日から28日まで7泊8日の日程で行った中欧三国、オーストリアハンガリーチェコへの旅行記を書いていこうと思います。

かなり微に入り細に入り長くなりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

 

まず、そもそもなんでこの三ヶ国に行くのかというお話から(今回それだけで終わります)。それは私がオーストリア=ハンガリー帝国を愛しているからです。オーストリア=ハンガリー帝国は1867年〜1918年にかけてヨーロッパに存在した国です。ヨーロッパに燦然と君臨したハプスブルク家による約650年にもなる帝国の最終形態とも言うべき存在です。

 

…と言えば聞こえは良いですが、実際には過去の遺物。敗戦に次ぐ敗戦による妥協の産物であり、民族ごとに国を持つナショナリズムという当時の風潮に真っ向から反して「諸民族の牢獄」と呼ばれた時代遅れの多民族国家オーストリアハンガリーが2つで1つの国家「二重帝国」の内政は互いに自らの既得権の確保と足の引っ張り合いに躍起になり、戦争になっても盟友ドイツの足手まといになり敗戦し敢えなく帝国は滅亡し領土は八つ裂きに…というダメダメっぷり。

 

しかし、疎まれていたはずの帝国がいざ無くなってみれば、かつて帝国が存在した中欧やバルカン半島には恐怖と絶望の波に飲まれてしまいました。ヒトラーナチスドイツやスターリンのソヴィエトロシアという人類最凶の双璧とでも言うべき国家に交互に蹂躙され、暴力と悲しみの嵐が吹き荒れました。帝国と同じ多民族国家であり、領域的にも重なる部分が大きかったユーゴスラヴィアの解体は、昔は同じ「臣民」「国家」だった諸民族を引き裂いて民族浄化という地獄を生み出しました。

 

確かに各民族の国が持てなかったという点では帝国は「牢獄」であったかも知れません。しかし、ドイツとロシアという二大国に挟まれている上に飛び抜けて有力な民族がいないという地理的な条件や、帝国が存在する内は内戦や虐殺など凄惨な事態が起こらなかったという歴史的事実は、むしろ帝国は諸民族を守り育んだ「ゆりかご」という側面があることも示しています。

また、帝国が存在する間の諸民族は「自治」は望みましたが「独立」を望んではいませんでした。諸民族にとり、自らに制約を課しつつも安全を保障してくれるハプスブルク帝国は厳父のような存在で、息子たる彼らは親の庇護なしには自らがドイツ、ロシア、イタリア、トルコといった四方の列強に瞬く間に飲み込まれ、今ある自らの自由度や立場といったものを損なうだけだとよく分かっていたのです。

 

内政に関しても、帝国の必ずしも効率的とは言えない体制でも、オーストリアの優秀な官僚は帝国各地に列強国として恥ずかしくないレベルの教育やインフラを齎し、文化を花開かせ人口の爆発的増加(1800〜1900年のブダペストの人口は約8倍増加)や地域ごとの強みを活かした産業の育成を享受させました。

 

特に音楽、絵画、科学、数学、哲学に関しては、19Cから20Cへの「世紀転換期」には世界史上に特筆されるべき発展が見られました。有名どころをほんの少しだけかいつまめば、音楽はシュトラウス(2世)、絵画はクリムト、哲学はフロイトといったところでしょうか。ウィーンの社交場たるカフェからは綺羅星のごとき輝きが放たれていたのです。

しかし、それもナチスユダヤ人弾圧や、帝国の崩壊でウィーンの求心力が無くなったことで各地からの人材が散り散りになってしまい終焉を迎えます。もっとも、旧二重帝国出身の科学者らの多くはアメリカに逃れて、そこでマンハッタン計画というトンデモナイ物に欠くべからざる絶大な貢献をしたりしているのですが。

 

そんなわけで、失くしてから気付かされたところの多い二重帝国の多様性と哀愁のある魅力に大学2年生の時の私はコロッとやられてしまったのでした。それまでも小2から歴史好きで高1から世界史好きで高3から近代ヨーロッパが好きで、大学も史学科だったのですが、この時に読んだ『ハプスブルクの実験』という本を読んで二重帝国への恋に落ちました。

まぁ、突き詰めれば戦争ばかりのヨーロッパ史は面白くて、二重帝国って国名が厨二心をくすぐるじゃん?という理由にはなろうかと思いますが。

私は卒業論文を二重帝国で書こう!と決めて、二重帝国によるボスニア=ヘルツェゴヴィナの開発を取り上げました。

(※この文章を読まれてもお察しかとは思いますが、卒論はサークルで遊び呆けていたためにとても人様には見せられるものではないクオリティに仕上がりました)

 

そしたら断固卒業旅行にはオーストリアに行きたい!と思っていたところ、ちょうど近所のHISで「添乗員と巡るオーストリアハンガリーチェコ中欧3国7泊8日ツアー」(的な文言だった)を見つけて一目惚れし単身申し込みました(ついてきてくれるような恋人や友達がいなかったとも言う)。

この旅行が結果的に大当たり。2016年2月〜3月の第1次中欧旅行の一瞬一瞬は感動の連続で瑞々しく、一生の思い出になりました。

 

しかし4月は就職で、次にこんな旅行に来れるような自由はあと何十年になることやら…と思っていたのですが。

いや、それが案外早く来るもんですね。人生何があるか分からないものですね。

 

中欧の眩しい思い出を胸にウッキウキで入った会社はとんでもないブラック企業でした。

ひたすら頑張り責務を果たすことを強いられ、私は馬鹿正直な性格でそれを全身全霊を越えて励み続けた結果、たった3ヶ月で心身は完膚なきまでに破壊されました。

微熱、頭痛、腹痛や手足の痺れや目まいに動悸に息切れが収まらず、しょっちゅう猛烈な悲しみと吐き気に襲われ、極端な過眠/不眠になったり一時期味覚や集中力が無くなったりしました。

当初はこの体調不良を自分の自己管理の甘さと自分を責め大量にドーピングをしていました。が、もう手遅れになってから辿り着いたメンタルクリニックでは「君このままじゃ死ぬよ?」という言葉と「自律神経失調症適応障害」という診断を受けました。それが今から1年前の6月末のことです。

超長時間勤務や深夜の不規則な勤務で、人の筋肉や内臓や感覚を司る私の自律神経系は致命傷を負っていたのです。苦しんだ末の自殺か、不調が引き起こす事故死か、はたまた心不全等の突然死か、どれがいつ真っ先に来るか分からないという状況でした。

それでも家族や友人や心ある同僚のサポートによりどうにか7月末に生きての退職に成功しました。

なおその心ある同僚の方もその数日後に勤務中に無理が祟り吐血して倒れ退職となっています(幸いすぐ恢復されましたが)。

 

ちなみにこの同僚の方が只者ではなかった。

当初私のことを「チェコハンガリーが好き」とだけ聞いていて「東側陣営の方かな?」と誤解していながらも、私の私物入れのエコバッグの双頭の鷲を一目見るやハプスブルクの臣民と見抜き、歴史軍事ゲーム飲食の趣味が極めて近しい上に私よりもずっと博識で、私より5つ年上のその方は今や私がフランツ・ヨーゼフ帝と同じくらいに敬愛する「師匠」となっています。一瞬で打ち解けましたし、同じ地獄で苦楽を共にして、お互いの存在という唯一の戦果を得たという認識や互いにマニアックな趣味をしているという自覚からかけがえのない人同士となりました。

正直自分が女だったらプロポーズしてたくらいですね。

 

まぁ師匠はさておき、ボロ雑巾になった私にはもはや社会生活は不可能で、自宅でずっと寝たきりの生活でした。頭痛や動悸などから集中力や好奇心が湧かなくなったため読書や安定した睡眠やゲームすら不可能で、全身が痺れてほとんど身動きできず、横になって携帯でTwitterをするくらいしか出来ることがなく、何に対しても無関心になり、二重帝国や中欧を好きな気持ちすら忘れていました。抜け殻というか廃人ですね。80過ぎた祖母の方が余程元気ですよ。

 

しかし、徐々に調子が改善したことと「二重帝国臣民」としてのTwitterアカウントを保持し様々な交流や知見が得られたことで徐々に愛情は復活していきました。

そして2017年4月に、メンタルクリニックを変えたら新しいところで処方された漢方薬により痺れが消えるなど劇的に症状が改善したこと、そして同時期に診察を受けていた内科から内科的に内臓へのダメージが無いと分かったことにより、私の足は再びあのHISに、中欧に向いたのです。

時間はニートなので腐るほどあり、健康的にもとりあえず動けるまで回復し、金銭的にも幸い都合がついたこと(お金を遺してくれた祖父には土下座)から、もう私の中ではやることは一つでした。

 

そう、あの愛しの中欧へ再び。死地に瀕しても消えなかった恋を実らせにいく。それしかなかったのです。

こうして今回の第2次中欧旅行は決定しました。

 

さて、今回は前回と主要な行き先や日程、旅行会社や往復の航空会社こそ同じですが、前回が全部で30人くらいの添乗員さん同行のツアーだったのに対して今回は1人ぼっちの旅行、各都市間の移動が前回はバスだったのに対して今回は鉄道という違いがあります。

 

いやー、何から何まで手配して案内してくれて、ネットやガイドブックを読み漁ったりしても出てこないような情報がポンポン出てくる添乗員さんが神様みたいに思えますね。旅行が決定してから10週間くらい調べれば調べるほどその思いが強くなってきました。

 

今は成田→モスクワの暇な機内でこれを書き殴っていますが、9〜10時間かかるこの飛行機の時間は本当に苦痛なものですね。中欧に行けるからと分かってはいてもこれはなかなか耐えがたいですよ。

 

ほとんど寝たきりの生活を1年も送り、体力筋力の低下は極めて深刻ですが、最近はどうにか週1で通っているプールで500mをほぼノンストップで泳げるくらいにはなりました。

 

今はまだ薬を大量に飲んでどうにか日常生活が送れる程度で、睡眠薬を飲まないと眠れないなど体調的に万全とは言いがたく、疲労も鑑みると旅行には常に寝過ごしのリスクが付き纏います。現金も最低限だけでクレカも月々10万円までしか使えず、特急ならまだしも万一帰りの飛行機を乗り逃すと最悪その場で詰みという不安な状況です。

ですが、不安以上に感じる中欧へのこの胸の高鳴りを信じ精一杯楽しんでこようと思っている次第です。

 

さあ、いよいよモスクワ着です。大好きなめざせモスクワを流しながら突入します!

 

今回は旅行記とは名ばかりの内容になってしまいましたが、次回は旅行全体のプランを投稿する予定です。頑張って書きますので次回以降も読んでくださいね!