Eigerのブログ

オーストリア臣民Eigerのブログです

ピルスナー・ウルケル

あなたはピルスナー・ウルケルというビールをご存知でしょうか?

 

美しく見る者を魅了する黄金色
きめ細やかな泡
最初にクリアな苦味、次に豊潤な旨味と艶やかな甘味
感じる圧倒的な麦と水の美味しさ、混じりっ気なしの素朴で優雅な味わい
現代ビールの主流ピルスナースタイルの原点にして頂点

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それが私を魅了してやまないピルスナー・ウルケルです。今回はこのビールについて、2年ほどのにわか仕込みの知識ではありますが語らせて頂きたいと思います。

もやしもん』という漫画の8巻に取り上げられたことでも有名なビールですね。

 

ピルスナー・ウルケル(Pilsner Urquell)とは中央ヨーロッパの国チェコのビールです。

(ウルクェルとかウァクヴェルという表記も稀にあります)

意味は「ピルスナーの元祖」。ピルスナーとは、世界のビールのおよそ70%を占めるビールの種類、ピルスナースタイルのことです。日本のビールはだいたいこれ。ピルスナースタイルの最初のビールというわけですね。

ピルスナーとは、チェコボヘミア地方のピルゼン(Pilsen)という都市で発明されたためこの名前をしています。しかし、ピルゼンとはドイツ語の地名であり、今のチェコ語ではプルゼニ(Plzeň)と言います。

プルゼニュという表記もあります

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つまり「ピルスナー・ウルケル」というのはドイツ語の名前ということになります。

ウルケルはチェコ語ではプルゼニュスキー・プラズドロイ(Plzeňský Prazdroj)と言います。意味は全く一緒です。

世界標準はウルケルの方で、チェコでもウルケルで通ります。が、チェコ人はプラズドロイと言った方がやはり喜びますし、本場プルゼニではどちらかと言えばプラズドロイですね。

ここでは基本ウルケルで通します。

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なぜチェコのビールがドイツ語の名前なのか?と言うと、このビールが誕生した1842年にはチェコという国が存在せず、今のチェコはドイツ語を使うオーストリア帝国の一部であったからです。

(チェコスロヴァキアとしては1918年、チェコとしては1993年に独立)

もちろんチェコ人の間では当時もチェコ語は使われていたのですが、公的な公用語はドイツ語でした。支配者ですから当然ですね。

今でこそ第二次世界大戦の影響でチェコにドイツ人はほとんどいませんが、それ以前は当たり前に混住していて、チェコ人よりドイツ人の方が多い町というのはよくある話でした。旅行記で触れたチェスキー・クルムロフなどはその一例です。そのせいでチェコの地名なのにドイツ語の地名があるわけですね。

(むしろ支配層のドイツ人こそ都市に多くて、被支配層のチェコ人は農村に多い)

 

ウルケルは、プルゼニ(当時はまだピルゼンと呼んだ方が正しいがプルゼニに統一)の市民が設立したビール会社Bürgerbrauereiが、ドイツのバイエルンから醸造技師ヨーゼフ・グロル(Josef Groll)を招聘したことで1842年に発明されました。

昔のヨーロッパでは安全性の観点から、水よりもビールを水のように飲んでいましたが、プルゼニのビールはそれまで質が低かったようです。

プルゼニではあまりの出来に飲むに堪えず、ビール36樽を廃棄するように命令が出された歴史があります。

そこで、このままじゃいかん!外部から先生をお呼びしよう!となったわけですね。

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↑ヨーゼフ・グロル

 

世界の中でもドイツは押しも押されぬビール大国でビールを飲む国ですが、その中でもバイエルン地方は「ビールは麦芽・ホップ・水・酵母のみを原料とする」という、「ビール純粋令」という法律で品質を厳しく管理した世界でもぶっちぎりでビールにうるさい所です。

オクトーバーフェストというお祭りを聞いたことのある方は多いと思いますが、あれはバイエルンの都にしてビールの都ミュンヘンで最初に行われたものであります。

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(1842年当時バイエルンは独立した王国であり、後にドイツの一部として統一されます)

バイエルンボヘミアは地理的にもお隣というべき場所にあり、好都合だったのです。

 

その由緒正しきバイエルンビールの血を受け継ぐウルケルですが、実は当時は異端児も異端児、醜いアヒルの子のようなものだったのです。

当時世界では伝統的な上面発酵(エール)というビールのスタイルから、より長期保存に適した新しい下面発酵(ラガー)への移行が進んでいました。

プルゼニもビール先進地であるバイエルンから、ラガービールを作るための先生としてグロルを招いたのです。

当時のバイエルンビールのスタイルといえばいわゆる黒ビールで、黒や茶色をした濃色ビールでした。当然グロルも黒ビールを作るつもりで、酵母を持ってプルゼニに赴きました。

しかし思い出して頂きたいのですが、ウルケルは綺麗な黄金色をしています。これはどういうことなのか?と言いますと、最新鋭の麦芽焙煎機と、ヨーロッパでは珍しいボヘミア地方の軟水が齎した偶然でした(バイエルンは硬水)。

 

また、伝統的にガラス産業を持っていたボヘミアが近代の産業革命を迎えることで、美しく透き通ったガラスのジョッキが安価に入手出来るようになりました。

それまでビールのジョッキといえば陶器でしたが、これにより黄金色のウルケルの美しさはさらに引き立てられました。

チェコのジョッキはなんとなく丸みを帯びていて拳骨を思わせる作りです。

現在でもチェコの名産といえばボヘミアンガラス。透明なものに限らず色とりどりのガラス製品に、美しい細工が施されています。特に爪やすりなどはお土産に人気ですね。

 

ですが、美しいだけでは人気は出ません。このウルケルは、1人あたりのビール年間消費量23年連続世界ナンバーワンのチェコにおいて圧倒的シェアNo.1を誇ります。

No.1は実はドイツではなくチェコなのです。

チェコでは飲み屋の大半にこのウルケルの看板が出してあります。首都プラハには至るところで見られます。

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チェコ人1人あたりのビール年間消費量は43.5リットルと、なんと日本の3.7倍。チェコでは往々にしてミネラルウォーターよりビールの方が安いです。これだけ飲んでるんですから、ビールに関して舌が肥えてないはずがありませんよね?

(なおチェコ人は世界で最もハゲの比率が高い模様)

この人気の理由は何と言っても美味しさ。

圧倒的な美味しさでウルケルは瞬く間に人気爆発、世界進出し、ウルケルと同様のピルスナースタイルのビールが世界を席捲することになりました。ウルケルはピルスナーの原点にして頂点なのです。

 

ウルケルには、先述のグロルがビールの都バイエルンから持ち込んだ酵母ボヘミアの軟水に加え、同じくボヘミアの麦と、世界でも有名なザーツ(ジャテツ)のホップが原材料に使用されています。

※ザーツはドイツ語、ジャテツはチェコ語

ホップは植物で、毬花がビールの苦味や泡や香りをつけるのに使われるものですが、このザーツのアロマホップは世界でも最高級です。今ではピルスナースタイルのビールにはザーツのホップはお約束です。

ウルケルには標準的なビールに使われるホップの量の約2倍のホップが使用されます。

凄くないですか?最高級のを贅沢に2倍も。

 

結果的に味としては、まず上品ですっきりした香りがします。次にきめ細かく適度にクリーミーな泡。

液体の方はキリッとした苦味がまずやって来て、次に旨味が続き、最後に甘みが来ます。喉ごしも良いです。辛味は無いですね。

アルコール度数的には4.4%と標準よりやや低めでゴクゴク飲めます。口当たりも喉ごしも極上です。喉だけでなく、舌でもしっかり味わってください。

冒頭にも触れましたが、キレの良さと素朴で優雅な味わいのあるビールです。高い次元で味のバランスが整っています。

小細工抜きの圧倒的な素材の良さのパワーで押してくる感じがします。例えるなら、高貴な気品のある姫君が、純白の簡素なドレスを身に纏っているような感じでしょうか。ごまかしの効かない生まれ持った美しさや魅力を存分に活かしているようなイメージです。

 

ただし、万人受けするビールかというとそうでもないです。苦味があるので、とにかく僅かでも苦味がダメという方や、そもそもビールの炭酸がダメという方には向きません。

苦味とはマイナスの味の要素ではなく、全体の味を引き締めて他の味を引き立たせるものということが分かっている人向けです。

ウルケルは苦いだけでなく旨味や甘味とのバランスが取れたビールです。

なお、ヨーロッパのビールにはよくある話なのですが、ウルケルは日本のビールほどキンキンには冷やさない方が良いです。最適な温度は6度と言われています。冷やしすぎると味の蕾が開ききらず、その真髄を楽しむことは出来ないでしょう。

 

私がウルケルを好きになったきっかけというか馴れ初めについてお話ししたいと思います。

私は成人して2、3年経ち、苦い苦いと思いながら日本のビールを飲み、苦味に舌が慣れてビールが美味しく感じてきた頃にこのウルケルを飲み、上品な香りや口当たりと別次元の旨味や甘味を感じてコロッと落ちました。

 それまではビールそのものがそこまで好きではなく、飲むとしてもフルーティなベルジャンやまったりコクがあるヴァイツェンでした。

しかしある時、偶然にもチェコビールの3本セットを親に買ってもらう機会があり、その中にウルケルが入っていたのです。(残りは「スタロプラメン」と「プラハ」という地ビールでした)

この時私は、世界にはこんなにも美味しいビールがあるのか…と惚れ惚れとしてしまい、チェコビールやウルケルの虜になりました。

しかも今さらですが、私はオーストリア=ハンガリー二重帝国(1867〜1918)のオタク。1842年のオーストリアプルゼニで生まれたウルケルは、当然二重帝国で親しまれたビール。この感情的な超プラス補正も大きかったわけですね。補正抜きにしてもめちゃんこ美味しいですけど。

 

それからしばらくして、2017年6月に私は再び中欧に旅行する機会を得ました。

(※第1次中欧旅行の時はウルケルにまだ目覚めていませんでした)

そこで誓ったのです。「本場のウルケルを工場まで行って浴びるほど飲んでやるんだ」と。

中欧旅行記にもいずれまた書きますが、工場見学の模様を書きたいと思います。

プラハから特急に1時間半ほど乗ってプルゼニまで移動し、駅から徒歩5分少々でウルケルの工場に着きました。

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トレードマークの門から工場に入ってしばらく直進すると、右手にレストラン、左手にビジターセンターがあります。

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このビジターセンターに入り、時間ごとに各国語で行われている工場見学ツアーに申し込みチケットを買います。日本語のツアーはありませんが、ガイドブックは販売しています(即買い)

私は英語のに申し込みました。ツアー時間は100分です。

公式サイト: http://www.prazdrojvisit.cz/en/tours/

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ツアー開始が13:00でこの時は12:10頃だったので、ビジターセンターの向かいにある併設のレストラン「Na Spilce」に入りました。

公式サイト: http://www.naspilce.com/en/

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工場併設ですから、ここではもちろん美味しいウルケルが飲めます!

チェコ名物コレノ(豚のひざ肉)と一緒に、真っ昼間から本場ウルケルをグビーッとキメました。最高!

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いよいよ工場見学がスタート。イケメンの英語ガイドについていきます。ツアー全体で30人近く、うち日本人は私含め4人いました。

広い工場内の色んな場所を、バスやエレベーターに乗り、解説を受けながら練り歩きます。

工場はとにかく広く、衛生的で、そして自動化や機械化が進んで人が少ない印象を受けました。物凄い量のウルケルが生産されていく様子が分かります。

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ツアーの最後には地下のトンネルに入り、昔の醸造所を見学しますが、そこでは出荷前の無濾過のウルケルを飲むことが出来ます!

なお、この地下はとても涼しいというか肌寒いので、1枚羽織るものを持っていくことを強く推奨します。トイレも無さそうでしたし行ける雰囲気でもありません。

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無濾過のウルケルは製品のに比べて濁って雑味がありますが、それがまた旨かったです。

 

こうして幸せな聖地巡礼は終わりプラハに戻ってきて、また夕食にウルケルを飲みました。

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白い!泡しかねえ!

これは「ミルコ」という今チェコで流行りの飲み方だそうです。クリーミーな泡の旨みを楽しむんですな。

 

そして、2回もプラハに行っておきながらまだ行けてないのですが、プラハにはウルケルの聖地があります。次こそ行くぞ。

それが、「U Zlateho Tygra ウ・ズラテーホ・ティグラ」(黄金の虎)という店。

このお店はなんと、入店して着席するとまずいきなり問答無用でウルケルのジョッキが出てきます。

メニューより先です。ちなみにヨーロッパなのでお冷やとかもないです。

しかもそのウルケル、日本の「わんこそば」のように空にするとすかさずおかわりが来ます。

コースターを蓋のように置いてストップの合図をするまで無限に続くので注意してください。

なかなか凄まじいところですね。

 

 

さて、このように素晴らしいウルケルを日本で楽しむには?ということをここからはお話ししたいと思います。

まず、そもそもウルケルはチェコ国内用と日本に届く輸出用では物が違います。

国内用はこれ↓

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日本で売ってる輸出用のはこれ↓です。

これを探してください!

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何が違うのか?というと、まず瓶の色からして違います。理由は、紫外線対策です。

グリーンの瓶は見た目が美しく低コストなのですが、光に弱く味が劣化しやすいのです。

対して茶色の瓶は見た目が悪く割高ですが光には強いです。

すぐ消費できる国内用と、輸送や保存陳列で長時間光に晒される輸出用で瓶の色を変えているわけですね。

 

また、これは未確認なのですが、輸出用は苦味が抑えられている可能性があります。

湿気の強い日本では乾燥したチェコに比べて苦味を感じやすいです。このため、苦味を抑えて作っているという話があります。

繰り返しますが未確認です。

ですが、私の体感ではチェコで飲んだ方が苦味が弱く感じました。

中身は違わないのか、あるいは苦味が抑えられているのにそれでもなお日本で飲むと苦く感じているのか。

長期にわたる日本への船便での輸送により、光に長時間曝され鮮度が落ちたり、揺れなどのショックがかかり味が壊れたりと、色々考えられることはあります。

この謎はいずれ何としても解明したいと思っています。

 

さて、ウルケルは日本では大きい酒屋さんなら置いてある可能性がある、というレベルの扱いです。成城石井とかにはたまに置いてあります。

また、鮮度等の観点からあまりオススメしませんがAmazonでも買えます。1本、6本、24本とありますね。先日気付いておったまげたのですが、なんとウルケルのダッシュボタンがありました(24本用)

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私もあったらいいなーとは妄想してたんですが、まさか現実に出来るとは。

でも個人で買うのはあまりオススメしません。24本でしか買えず、置き場所にも困りますし、鮮度が良いうちに消費し切れないので。

1本から買えるなら私が廃人になります。ビールクズ製造ボタンになります。

 

次は飲めるお店の紹介です。

2017年9月現在でウルケル飲めるお店は私の知る限りで以下のようになります。私が東京住みなのもありますがやはり東京中心です。

○東京

・「TALE'S ALE HOUSE」(本郷三丁目)

http://www.tails1998.com/hongo.php

ここは空輸便の樽生が売りです。美味しいウルケルならここですね。

 

・「だあしゑんか」(四谷三丁目)

http://dasenka.jpn.org/bar/map.html

チェコはじめ東欧料理屋さんです。毎週水曜に開封する樽生にありつけます。また、ここでは泡々の「ミルコ」が楽しめます。

 

・セドミクラースキー(代々木上原)

http://sedmikrasky.com/?cat=4

チェコ料理屋さんです。瓶が置いてあります。

 

・池袋の風(池袋)

http://www.kazetogenki.com/6046/

世界中のビールが飲めるお店です。サイトでは樽生を謳ってましたが私が行った時は瓶しかなかったです。

 

ハイバリー(新宿御苑前

https://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1304/A130402/13200476/top_amp/

ビアバーで、冬季のみ樽生が飲めるとのことです。まだ行ったことなし。

 

世界のビール博物館 東京スカイツリー

http://www.world-liquor-importers.co.jp/tokyo/

スカイツリーの下、ソラマチにあります。

瓶のが飲めるだけでなく、販売しているので持って帰ることも出来ます。

 

○神奈川

・Pivo屋(保土ヶ谷)※休業中、引っ越し予定

http://www.pivo-ya.com/menu/

行ったことなし。相当こだわりがあるようです。

 

○千葉

・Cluster(柏)

http://cluster-kashiwa.com/

行ったことなし。ここは空輸樽生があるようです。

 

○愛知

イスタンブールカフェ(大須)

https://s.tabelog.com/aichi/A2301/A230105/23054220/dtlmenu/?photo=1

名古屋旅行中に偶然発見しました。神様のお導き?空輸樽生です。

 

ピルゼン(新栄)

https://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/aichi/A2301/A230104/23008637/top_amp/

ドイツ料理屋さんです。真面目に読んで頂いた方ならお店の名前にニヤッとくることでしょう。ツイッターのフォロワーさんから好評でした。私は行ってません。

 

○大阪

世界のビール博物館 グランフロント大阪

https://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27070799/top_amp/

ほか梅田には数軒飲める店があるようです。

 

私が今知っているのは以上です。

 

そして朗報なのですが

なんと、日本のアサヒがピルスナーウルケルの販売権を買収しました!

http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLZO18007780S7A620C1TJ2000/

これにより、来年2018年から日本でウルケルの流通が増えることは間違いありません。

代わりにスーパードライとかがヨーロッパに出ていくことにもなります。

ウルケルの素晴らしさを1人でも多くの人が知ってくれることを願ってやみません。

あ、今さらですけど私ウルケルの会社(SABミラー社)からビタ一文も貰ってませんからね。くれないかなぁ。

 

ここでウルケルの宣伝動画をどうぞ。(1分間です)

https://youtu.be/Ujp2OGVpKb8

チェコ語で何を言ってるのかサッパリではあるのですが、

ウルケル175周年を記念したもので、

チェコの人々が、二重帝国時代→チェコスロヴァキアによる支配→ナチスの支配→ソ連の支配とプラハの春→冷戦終結民主化チェコとして独立→自由と繁栄を謳歌 という苦難と栄光の歴史を、どんな時もウルケルと共に歩んできたことが伺えます。

皇帝フランツ・ヨーゼフ1世や音楽家スメタナが飲んでいる描写もありますね。

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そして忘れず一つ言わせて頂きたいのですが、

ウルケルの風味はとても繊細で嫋やかです!

ウルケルは生き物でナマモノです!

鮮度の悪いウルケルはただの苦汁です!!

あと日本よりチェコで飲んだ方が美味しいです!

ピルスナー・ウルケルはいいぞ。

 

では最後に乾杯しましょう!

チェコ語で乾杯はNa zdraví ナズドラヴィー!(健康に)と言います。

一緒に飲む人と目を合わせ、一度ジョッキを机にゴトッとつけてから口に運びます。

ビールを飲む時には騒がずに、コーヒーでも飲むかのように落ち着いて飲むのがチェコ流です。

それでは皆さん

ナズドラヴィー!

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HoI4二重帝国MODのその後

以前AARを書いた、私がアドバイザーを務めさせて頂いている、HoI4でオーストリア=ハンガリー二重帝国がプレイ出来る「Austro-Hungarian Empire」MODが、その後作者ジョニー様の不断の努力によりどんどん改良されております。

http://steamcommunity.com/sharedfiles/filedetails/?id=862385110

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よって今回は特別にその宣伝をしたいと思います。中欧絡みの記事も鋭意執筆中でありますのでお楽しみに。

 

さて、どこが変わったのかと申しますと、まず

・国家選択画面に帝国を追加、および付属する歴史概要のテキストを実装(私が書きました)

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 次に

・帝国のマップ上でのカラーが白に変更

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どうです!この気品に溢れた姿!美しい領土!

同じパラドゲーのVICで、オーストリアといえば白という界隈の根強い意識に基づいたものですね。

 

さらに国名変更および国旗の実装です。

デフォルトでは中道のオーストリア=ハンガリー帝国ですが

 

ファシスト化するとオーストリア帝国

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民主化するとドナウ連邦に

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・共産化するとドナウ社会主義連邦に

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それぞれ変態します。

特にドナウ社会主義連邦の国旗は有識者の方からのアドバイスを頂戴してのオリジナルとなっております。ハンガリーオーストリアと南スラヴの連帯を表す3つの合体した旗に、アカらしく星を中央に据えた意匠となっています。

ドナウ連邦の国旗については、史実で国旗の案があったわけではないので、HoI2のKaiserreichからの流用となっております。

 

最後に

・「ハプスブルク家」のNFおよび国家精神の実装

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民主化またはファシスト化しても、ハプスブルク家の皇帝が象徴君主として残るという脳内補完を表しています。効果は国民団結度+5%です。体制変更の際に低下した分を補ってくれます。

NFのテキストは不肖私が書かせていただきました。

 

この他にも師団数や資源産出量の微増、海軍初期配置をプーラに移動などのいくつかの変更があります。

作者様曰く、今後はIC、資源、NF調整に力を入れたいとのことです。

私はオーストリア=ハンガリーのBGMを追加で実装して頂こうかと考えているところです。

 

これからもこのMODは次々改良されていく予定ですので、どうぞお楽しみに!

HoI4でお手軽に二重帝国をあなたに、当MODを是非よろしくお願いします!

http://steamcommunity.com/sharedfiles/filedetails/?id=862385110

 

最新の環境ではありませんが、MOD作者様による紹介動画もぜひご覧ください

http://sp.nicovideo.jp/watch/sm31926708?nicorepotwitter_upload_video

Eiger中欧旅行記②中欧の魅力と第1次旅行のあらすじ

こんにちは、今回は(前回比で)スピード更新ですよ。

予告とは違ってしまいますが、今回は第1次中欧旅行のあらすじをざっくりお話ししたいと思います。

いやぁ、気付いてしまったんです。予告通りにしたら、「②で1日目って何か変じゃね??しかもそのx-1みたいな気持ち悪い状態がずっと続くんじゃね??」と。

というわけで、今回は急遽第1次旅行の話といきたいと思います。今しとかないと永遠にこのブログで話す機会無くなりそうだし…。アッハイ、ごめんなさい、前はそこまで考えずに①を計画編で書いてしまったんです本当すいませんザンネンです物投げないで…。

まぁ次の旅行記からは必ず第2次旅行を1日目から書いていきますので、なんとか。

 

でもその前に。

中欧のどこが良いのか?」という話をしたいと思います。それはこのブログをお読み頂いた皆様それぞれにふわっと感じて頂ければと思っていたのですが、明確にしといた方が良いような気がしましたので。これを念頭に読んで頂ければ幸いです。

 

まず「中欧」とは現在では一般的にドイツ、スイス、リヒテンシュタインオーストリアハンガリーチェコ、スロヴァキア、ポーランドのことを指しますが、ここでは私が行ったオーストリアハンガリーチェコの三国ということにします。

 

私にとって中欧とは歴史上好きなオーストリア=ハンガリー二重帝国がかつて存在した場所であり、その中核と言える地域であります。

ですが、それは中欧の「過去」であって、「現在」の中欧はどうなのか?歴オタにとって何より大事なそのリンクは果たして上手くいくものなのか?と実際に行ってみるまでは思っていました。

で実際「現在」の中欧に行ったらどうだったのよ?というわけですが、いやぁ最高ですね。まぁ今の私それ以外の海外をまだ知らないんですけど。でも初回にして大当たりを引いたのではないかと思います。

 

中欧のここが良い!

・歴史的風景と現代的なインフラが共存している

ウィーンの代名詞的存在のシュテファン大聖堂は1359年に65年がかりで完成し現存しています。日本で言うと鎌倉時代ですね。

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ヨーロッパにはよくあることですが、そういう歴史的建造物が当たり前のように街中にデーンと建っています。

その一方でただボロい街というわけでなく、開発は進んでいます。ウィーン中央駅は2014年に完成したばかりで、まさに最先端です。

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ウィーン、ブダペストプラハいずれも電車地下鉄路面電車バスともによく整備されており、すぐ行きたい場所に行けます。本数も多く定時性も良好です。

また、二重帝国臣民にはたまらないのですが、ブダペスト地下鉄1号線などは二重帝国時代の1896年に完成した物が今でも現役です。歴史の中に自分が飛び込んだような感覚は、歴史好きには無上の悦楽であると思います。

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・食べ物と飲み物のレベルが高い

ぶっちゃけ我らが日本はこの点において世界トップクラスにありますが、それでも中欧はそう見劣りしません。

料理ではどの国も内陸国なので肉料理が大変美味しいです。

ハンガリー料理は特筆すべき存在です。ヨーロッパ料理にありがちな脂っこさやくどさが全然なく、ふんだんに使われる真っ赤なパプリカは、食欲をそそります。

そもそも名物じゃなくても、ホテルとかで痛感するんですが、チーズやソーセージが旨い!

また、街中によくあるスタンドにふらっと入ってもケバブとかが凄く美味しいですね。

酒飲みには大事なことですが、お酒は最高です。特に良いのはチェコのビール「ピルスナーの王」ピルスナーウルケルと、ハンガリー琥珀色をした極甘の「王者のワインにしてワインの王者」トカイワインでしょう。

 酒が飲めなくても、カフェ文化発祥の地ウィーンのコーヒーとスイーツにはきっと満足出来るはずです。ウィンナーコーヒーの名前を聞いたことがない人はいないでしょう。本物を知ってるかは別として。

つい最近セブンイレブンから3日間だけ限定で発売されたザッハトルテはまだ皆様の記憶にも新しいのではないでしょうか。これはウィーンのお菓子です。

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・そしてそれらが恋しくなったら日本(主に東京)でも味わえる

のがまた大きな魅力です。ここらへんは私が一番熱くなるポイントなので、これだけでいずれ記事を書きますし、知り合いの方にはいつでもご紹介します。

 

・情緒豊かであり、景色が良い

歴史的風景に加えて世界最先端とまではいかない街並みに加え、東京などでは廃れてしまった路面電車トロリーバスが向こうでは未だ現役です。まぁぶっちゃけ非効率でも無くす余裕がないってのはありますが。

 景色の良さといえば、「ドナウの真珠」ことブダペストの夜景は一見の価値アリです。「百塔の街」プラハもまた良い。

 

・治安が悪くない

私は全く不安な思いをしませんでしたし、中欧は西欧に比べてテロの件数もずっと少ないです。もっとも、私が安全のために用心しまくったり危なそうな場所には近づかなかったというのはあります。

 

・割と清潔

不快なことは基本ありません。街中にゴミ箱が充実しているためポイ捨てはほとんどなく、よっぽど変な所に入らない限り悪臭もありません。

トイレは有料のところか飲食店のを使いましょう。無料公衆トイレは…あの…その…。

海外の水道水を飲むのは基本NGですが、オーストリアではアルプスの湧き水が蛇口まで流れるように整備されています。これは飲んでも美味しくて、大丈夫でした。

また、もし旅先で何かあってもまともな医療を受けられます。ですが万一に備えて海外旅行保険には必ず入りましょう。チェコ渡航する際には保険への加入が義務づけられています。

治安の良さや清潔さでは日本は世界でも群を抜いているので、同レベルは基本求めないでください。

 

・移動しやすい

そもそも中欧はともにEUの構成国であり、シェンゲン協定に加盟しています。

シェンゲン協定の規定により、一度シェンゲン圏に入って入国審査を受ければ、帰りでシェンゲン圏からの出国審査を受けるまでは、シェンゲン圏同士の国境を越える移動にはフリーパスということになります。(※陸路なら)

ハンガリーで入国し、オーストリアに移動し、チェコに移動し、チェコで出国審査が済むまでは審査なしであり、シェンゲン圏のどこにも行きたい放題です。

国境で面倒なチェックは行われずスムーズな旅が可能です。

 

 ・英語

各国首都では割と通じます。

向こうもネイティヴではないために簡単な言葉で身振り手振りを交えて話してくれるため、かえって通じやすいです。

また、ドイツ語話者の英語は音が低めで聞き取りやすいことで有名ですが、ドイツに近いからか同様に聞き取りやすく感じました。

 

 ・物価の安さ

ハンガリーチェコのみ。オーストリアは除く。

スーパーで買い物したり電車に乗ると分かるのですが、物価は安いです。

例えばプラハからプルゼニから110km特急に乗ったら(2等車)約1000円でした。

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プラハのスーパーで、缶ビール、ミネラルウォーター×2本、ソーセージ1本、サラミとチーズ、オリーブを買ったところ約800円でした。

特にチェコのビールは安いです。(かつ極めて美味)

 

パッと思いつくのはこのあたりですが、良いところばかり挙げるのは不公平なので、悪いところも。

 

中欧のここがダメ!

・サービスの質が低い

旧東側であるハンガリーチェコは特にそうです。

でもこれは日本が高すぎるので慣れましょう。

そもそもの考え方として、「客と従業員は対等である」ので、無駄にペコペコしたり愛想良くしないし、何かしらトラブルが発生したら客に迷惑がかかるのもやむなしというのがあります。

でも、本来これが正しいと思います。「お客様は神様です(誤用)」 ?ちゃんちゃらおかしいですよ。

飲食店の店員の感じが悪い?相手は人間です。自分に何かしら原因は無いですか?ほならね、ご飯のために土づくりから始めて料理までやってみるか?って話ですよ。

 

・チップの文化がある

飲食店やタクシーでは価格にサービス料が含まれていないので、価格の10%ほどを上乗せして渡すのが礼儀です。

このため、支払いの時にその分を計算したり、その分のお金を用意したり、逆にお釣りは良いですよという事が必要です。

必ずしも渡す必要は無いのですが、チップは礼儀というか、向こうの従業員は客の自分のサービスに対する通信簿と考えているので、必要な場合渡さないのはやはり失礼です。

とはいえ、過剰に渡したり、チップを払う価値が無いと判断した場合は渡さなくても大丈夫です。

また、タクシー等ではチップの小銭の代わりにちょっとしたお菓子というのもアリです。個包装の飴玉など有効です。

 

・通貨がバラバラ

三国ともにEUですが、統一通貨ユーロを導入しているのはオーストリアだけです。

未だハンガリーフォリント(HUF)、チェコはコルナ(CZK)という独自通貨を使っていますので、両替や計算が手間です。日本でも両替の扱いがある所は少なく、成田空港などの大きな両替所でないと難しいでしょう。

普段使いの日本円財布に加え、ユーロ財布、フォリント、コルナ財布、万一に備えてイザとなったら犯人に渡す用の財布などが必要になりますので、そこは面倒です。

ただ、ハンガリーの首都ブダペストチェコの首都プラハではユーロ支払いが可能なことが多いですが、その場合は割増での請求なことが多いので注意しましょう。

さらに、間違っても両替所ではない街中で両替を人から提案されても受けないでください。

ボッタクられるのは当たり前、最悪ニセ警官とグルで「今不審者と両替しただろ、お前の財布も調べさせて貰う」と絡まれ、チェックの際に現金をスッと抜かれてしまうことがあります。

徹底した用心や予防策こそが楽しい旅行を担保してくれるのです。杞憂で良いのです、心配し過ぎて悪いことはありません。

 

・言葉もバラバラ

お前ら本当に昔一つの国だったんだろうな⁉︎と言いたくなりますが、どの国も自国の言葉で、しかもあまり似ていません。

強いて言えば英語やドイツ語がやや通じます。

 

・買い物しにくい

日本とは違い自販機はほとんどありませんし、コンビニもありません。

小売店やスーパーで買うことになりますが、原則24時間営業はやっていません。だいたい20時には閉まります。

ちなみにウィーン、ブダペストプラハの地下鉄の終電は23時から23時半です。タクシーは高くつきますしあまり信用も出来ないので、夜の行動は早めに切り上げましょう。

 

・外食は高くつく

物価は安いという話をしましたが、欧米では外食=贅沢という文化があるので、外食すると高くつきます。もっとも、日本とは違って飲食業でも適正な給料が入ってホワイトということになるので、これは甘受するべきでしょう。

オススメはレストランをメインの名物料理プラス一杯くらいで済ませ、スーパーで酒水つまみを買ってホテルの部屋で心おきなく飲むことです。金銭的にも安全的にもこれが正解でしょう。

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 これくらいでしょうか。

 

 

 

それでは。

第1次中欧旅行は、2016年2月28日〜3月5日までの7泊8日で、ハンガリーオーストリアチェコと回った旅行です。大学の卒業旅行でした。なんで行こうと思ったのか詳しくは⓪で!

 

HISで添乗員さん付きの団体ツアープランに(ぼっちで)申し込みました。初海外で自分1人で旅行する勇気は無いですからね。

ツアーは全部で30人くらいいて、親子とか友達とかカップルでの参加が多く、ぼっち参加者は私込みで2人しかいなかったですね。

いいもんぼっち慣れしてるから寂しくないもん。むしろ気楽だもん。

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1日目はまず成田空港に集合し、アエロフロート・ロシアの飛行機でモスクワ経由でまずブダペストへ飛びました。なので海外童貞は実はロシアに捧げたんですよね。ううむ。

モスクワで飲むコカ・コーラは資本主義の味がして大変美味しかったです。

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その日はブダペストの空港からそのままホテルへ。飛行機の遅れとか、受託手荷物返却のターンテーブルが動き始めるのが異様に遅かったり、団体ツアーゆえの行動の鈍重さとかで、部屋への到着は現地時間で23:30くらいで、8時間遅い日本から来たので肉体的には徹夜明けと同じくらいの感覚になるわけで、疲れ果てて即寝ました。

 

2日目はブダペスト

熟睡していた早朝にけたたましい音楽を流され叩き起こされました。ホテルが面してる大通りをワゴン車がハンガリーの第2の国歌「ラーコーツィ行進曲」を大音量で流して去っていきました。

https://youtu.be/0408XiC9woA

↑どうぞ勇ましい曲調を大音量でBGMとしてお楽しみください。

日本で言えば黒塗りの街宣車が軍艦行進曲か抜刀隊を流していくようなものでしょう。

朝食に集ったツアー参加者は皆強烈な目覚ましにポカンとしておりました。

添乗員さんと現地ガイドさんに連れられて、名所をかいつまんで案内してくれます。

ガイドさんの話は全身を耳にして必死に聴いていました。初めての海外で憧れの中欧の地が眩しくて仕方なく、撮影スポットはもちろん、何でもないようなATMや信号機やゴミ箱まで撮りまくりましたね。

展望台的な存在として漁夫の砦というのがあるんですが、そこが最高でした。そこからドナウ川と国会議事堂をバックにパシャっと。あ、首から胸にかけての紐は旅行中貸与されていたオーディオガイドのネックストラップです。

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団体行動が終わってからは国会議事堂に行ったのですが、内部の見学はツアーに参加する必要があり、英語のツアーが既に終わってしまっていて泣く泣く見学を諦めました。

 

その後は軍事歴史博物館に行ったのですが、そちらは冬季はガイドブックの時間より2時間早く閉まるとかで着いた時は閉館3分前で門前払いとなり大変悲しい思いをしました。

 

次はブダペスト名物の温泉に行ってみようと思い一番有名なゲッレールト温泉に行ったら、ここは構造が複雑すぎて併設のホテルと温泉の入り口が分からず、体当たりの小学生レベル英語(※私のTOEICのスコアは大学受験直前で105/990)では状況を解決出来ず玉砕し転進を余儀なくされました。

 

そこで次に近い温泉のルダシュ温泉に行こうとしたのですが、正確な場所がよく分からないのでゲッレールト温泉の脇にいたタクシーに乗ってみたのですが、これがどうも温泉と駅の送迎専用かホテルの客専用かよく分かりませんでしたが乗車を断られてしまいました。

どうにか運転手さんを拝み倒してルダシュまで運んで貰えて、ゲッレールトに比べればずっとシンプルなルダシュの窓口は根性で突破しました。

コインロッカーかキャビン(個室)が選べたのでキャビンを選択。いざハンガリー風呂を楽しみます!

ハンガリーに限らずヨーロッパの温泉施設に行く時は水着タオルとビーチサンダルを持っていくのがお約束です。半ばプールで、当然混浴になっていますので。

肝心のお湯は、広間の中央にメインの向こうの人好みのぬるいプールのような深い浴槽があり、周囲の隅には水風呂から日本人好みの40度くらいのまで色々な小さい浴槽があります。

私はこの40度のところを満喫しました。

 

風呂上がりには飲食コーナーを見つけたので、スッキリしたドイツビール「レーベンブロイ」とハンガリーの揚げパン「ランゴッシュ」の塩とおろしニンニクのフレーバーの組み合わせを満喫。

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食後は日もとっぷり暮れた夜に煌々とライトアップされた鎖橋を渡り、ドナウ川を徒歩で越えて、今度は夜間ツアーの集合です。

 

ブダペストが真髄を見せてくれるのは夜の帳が降りた後。規則的な高さ、色のライトアップがドナウ川両岸の建築物や名所を照らし出し、幻想的な風景に包まれます。これこそが「ドナウの真珠」ーー。

真珠は川に降って船から見るも格別ですが、この時のツアーは陸上からバスでポイントを巡ってから、全てのポイントが上から見渡せるゲッレールトの丘へ向かいました。

その丘からの眺めがこちらです。

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この感動の眺めの後はホテルに戻って幸せに包まれたまま就寝しました…。

 

次の日はまだまだ見足りないブダペストを断腸の思いで発ち、途中ハンガリーの名所を経由しながら団体のバスでウィーンに入ります。

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立ち寄るのは、オーストリアから東西に流れてきたドナウ川ハンガリーで南北に流れを変えるドナウベント地方にある、芸術家の町センテンドレと大聖堂のあるエステルゴムです。

この二ヶ所に加え、私は行ってませんがヴィシェグラードという所が有名です。

「高い城」という意味の地名で、ちょうどドナウ川が折れ曲がる地点を見下ろすように、かつて城が築かれていました。

ヨーロッパに詳しい方なら「ヴィシェグラード・グループ」という言葉を聞いたことがあるかと思いますが、ここから来ています。

 

センテンドレは芸術家の多い小さな町です。

近世ハプスブルク家の「軍政国境地帯」(これ知ってる人はめっちゃマニアですが)の一部であり、その名残からセルビア人が混住しており、教会もカトリックセルビア正教のと2つあります。

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建物の壁の旗にご注目!

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エステルゴム大聖堂はハンガリー初代国王「聖王」イシュトヴァーン1世が戴冠式を行った場所で、ハンガリー=カトリック教会の総本山となっています。

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また、大聖堂の下にはドナウ川が流れ、脇の鉄橋マーリア・ヴァレーリア橋を渡ると隣国スロヴァキアのシュトゥーロヴォという町です。

まぁ元々スロヴァキアという国自体がハンガリーの一部bゲフンゲフン。

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そこの川を渡るともう違う国、というのは日本人にはなかなか理解できない世界で、この不思議な感覚も狭いところに国が密集する中欧旅行の魅力です。

もう一度ハプスブルクのもと一つの国にまとまり直せば良いのに。ドナウ連邦化待ってます。

 

 エステルゴムから車で1時間半ほどでハンガリーオーストリア国境に、さらに1時間ほどでウィーンに達します。

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それでその日の行程は終わりで、翌日はウィーン観光です。

 

 

4日目はウィーン。

ハプスブルク臣民の私にはまさに聖都。

天候は雹混じりの曇り空でしたが、私の心は日本晴れ。日本じゃないけど。

BGM:https://youtu.be/ENETOpNpIiI

ハプスブルクの夏の離宮シェーンブルン宮殿

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ホーフブルク(王宮)と

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ウィーンの目抜き通りにして歩行者天国のケルントナー通りを、始めのオペラ座から終わりのシュテファン大聖堂まで歩き、解散して自由行動になりました。

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この自由行動では嬉しいことがありました。

なんと、小学校以来の友人とウィーンで会えたのです!

小学校以来の友人なのでお互いの東京の家は徒歩5分と離れていないのですが、偶然にも2人ともウィーンを同じ時に訪れることがFacebookで判明したので落ち合うことになっていました。

彼は音楽に堪能でドイツ語も出来て、本場のオペラを見るためにヨーロッパを旅していました。

 

彼と合流し昼食をとり、ウィーン中央駅の端っこをチラ見しつつ、まずは私の趣味で軍事史博物館へと向かいました。

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このウィーン軍事史博物館は元々武器庫だったのを博物館に改修した建物で、中には歴史ミリタリーマニア垂涎の展示物が実物ばかりゴロゴロあるとのことで、ウィーンに行くなら絶対に外せないと思っていました。事実その通りでしたので、これを読んだあなたが行く時は必ず行ってみてください。

歴史もミリタリーも齧る臣民の私には天国のような場所で、写真を500枚くらいバシャバシャ撮りまくり(※入場料とは別に定額の撮影料がかかります)ました。

歴史は詳しいがドイツ語は分からない私と、ドイツ語は出来るが歴史は分からない友人は強力なタッグになって、展示物を夢中になって見ていました(私がおんぶにだっことも言う)。

色々素晴らしい物がありますが、一番はWW1の引き金となったサライェヴォ事件で殺害されたフランツ・フェルディナント大公がその時着ていた軍服と乗っていたオープンカーの実物の展示です。

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その後は友人の趣味でベルヴェデーレ宮殿に向かい、高名なグスタフ・クリムトの絵画「接吻」を見に行きました。

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私は絵とか芸術のことはサッパリですが(見たり聞いても「ほえー」で済んでしまう)、クリムトは二重帝国時代のウィーンの世紀末文化を担った1人であり、官能的な絵が特徴です。

 展示されているベルヴェデーレ宮殿オーストリアの名将プリンツ・オイゲンにより建てられた宮殿です。オイゲンには嗣子が無かったために遺産は宮殿ごとハプスブルク家の所有となりました。

 

彼と分かれてからは夕食に名物のヴィーナー・シュニッツェルを堪能し、

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さらに夜食にケバブと白ワインを買ってきて、ホテルの部屋で楽しみました。

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これにてこの日は終了。

 

 

5日目はウィーンからプラハへの移動日ですが、道中寄り道をしてチェスキー・クルムロフへ行きました。

チェスキー・クルムロフはチェコの南西部にある小さな町で、誰が言ったか「世界で一番美しい町」として有名です。歴オタには「ズデーテンラントの一部だ」と言うと通りが良いでしょうか。

こぢんまりと風情のある可愛い町並みで、町のサイズに比べて大きな城を擁し、RPGの中に入り込んだような感覚がします。

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ここではまず名物のマス料理を食べましたが、やはりチェコは肉料理の国だと痛感しました(婉曲表現)(そもそも日本の魚料理が異次元なので比べてはいけない)。

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 ここで一度団体行動を解散、個人自由行動になったので

チェコの町の典型的な広場や

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城から町の眺めを堪能してから

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偶然見つけた骨董品店に入りました。

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(ハプスブルク帝国とドイツとソ連の支配を受けたここなら、私にとってのお宝が必ずある…!)との確信がありました。

店員さんに「I like Austria-Hungary empire and German army on WW2!」というガバガバ英語で決死のアピールを敢行したところ、果たしてお宝の山でした。

当時の小物やら家具やら、実物の勲章とか手紙とか卒倒しそうになるお宝が出るわ出るわ。

とは言っても予算は全然無いので、特に目についたこのメダルを購入しました。3000円ちょっとでしたね。

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1898年に発行された皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年記念メダル(当然実物)です!

お宝を手に入れて私は意気揚々とツアーのプラハに向かうバスに乗り込みました。

 

なお、チェスキー・クルムロフは田舎なため、ウィーン〜プラハ間の鉄道や高速道路からは離れた位置にあります。

ウィーンやプラハから鉄道で行くには、チェスケー・ブジェヨヴィツェという都市で乗り換えが必要です。しかもチェスキー・クルムロフまでの路線はよく止まって代替輸送が多く、しかもチェスキー・クルムロフの駅から町までは徒歩30分というナメた位置にあり、道中も段差が激しいと超悪条件です。

対してバスターミナルは町の目の前にあり、プラハ市内のAnděl(アンギェル)のバスターミナルまで直行で約3時間で行けます。

プラハのバスターミナルは2つあり、もう片方のFlorenc(フローレンツ)の方がメインで、発券機能はそこに集約されているようで要注意です。

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そのプラハのAndělのバスターミナルに第2次旅行で迷子になって入り込んでいたことを後から知ったので、今後のために役立てたいと思います。

 

さて、ツアーのバスは一路プラハに向かい、夕方に到着しました。

まずはチェコのビアホールに通され、ここでは伝統の黒ビールとローストダックを、アコーディオンの「ビヤ樽ポルカ」生演奏付きで堪能しました。

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ホテルに着いてからは、ツアーで一緒になったウェイな感じの同級生たちのグループと気が合いそうだったので、ホテルの部屋で酒を酌み交わすことに。

地下鉄ひと駅離れたスーパーまで買い出しに行っての部屋飲みです。(物価の話に出したのはここです)

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この時一緒だったのは私と同じ大学卒業生の男女2人ずつ。おったまげたのが、その女子の1人が、私のバイトしていた時の同僚の知り合いというではありませんか。世界って狭く出来ているもんですねと一同爆笑、プラハの夜は楽しく更けていきました…。

 

 

6日目はプラハ観光です。

BGM: https://youtu.be/3G4NKzmfC-Q

まずはプラハ城。有名なゴシック建築にしてプラハのシンボル、聖ヴィート大聖堂にてチェコの代表的な画家ミュシャ(ムハ) Mucha のステンドグラスを拝んできました。

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その後は毎時0分ちょうどに行なわれる正門の衛兵交代式を見学しました(10〜18時。12時は特別派手)。

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この頃警備員になる直前の私はこんな動作が出来ればなぁと考えて見入っていました。実際商業ビルでのお仕事だったので役立ちました。

 

その後はプラハ城を出て、城下町にあたる「小地区(マラー・ストラナ)」 を歩いてカレル橋へ。

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カレル橋はプラハを貫くヴルタヴァ川に架かる砂岩の橋で、1402年に完成しました。

橋の両端には塔が建ち、橋の欄干には左右15体ずつ計30体の彫刻が並んでいます。橋には絵やアクセサリーを売ったり似顔絵を描く露店が数多くあります。また、橋が砂岩製のため人間しか通行出来ないルールがあります。

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チェコ語名のヴルタヴァ(意味は「荒々しい」)川と言うと何ですが、日本人にはドイツ語名のモルダウ川の方が馴染み深いでしょうか。

合唱曲にモルダウというのがあり、私も中学校で習ったのをよく覚えています。もちろん橋の上で小声ですが歌いましたよ。「なつかしき河よモルダウの〜♪」

ちなみに先ほどのBGMがそれです。

チェコの音楽家ベドルジハ・スメタナ作「我が祖国」の第2楽章ですね。(本来はチェコ語名の「ヴルタヴァ」)

 

ちょっと偏差値を稼いだところで次に行きますと、カレル橋を渡ってツアー一行は旧市街へ。旧市街を突っ切り、旧市街広場の天文時計に達しました。

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ここでも毎時ちょうどにからくり時計が動くショーが見られるのですが、この時は時間を外していました。偶然にも結婚式やってましたね。末長くお幸せに。

 

団体行動はこれにて終了で、個人行動開始です。

まずはとにかくお腹が減っていたのでレストランを探していたら、日本の国旗が描いてある=日本語表記メニューがあるレストランを発見したので突撃。

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すっかり虜になったローストダックに齧り付き

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ペロリと。

こういう骨付き肉の深追いは昔から大好きで得意なのですが、この食いっぷりを見て店員さんがリキュールを奢ってくれました。たぶん杏とかだと思いますが、ふわっと豊かな香りがしました。Děkuji (デェクイ、ありがとう)!

 

この後は旅の疲れが溜まっていたので一度ホテルに引き返してくたばっていました。

が、ツアーの添乗員さんが自由参加で土産物屋に案内してくれるとのことだったので再び旧市街広場へ…行こうとしたのですが、路面電車を違うのに乗り間違えてガチの迷子に。偉大なるiPhoneの地図アプリで現在位置を割り出して徒歩行軍を始めました。

(今にして思えば、なんでそのまま逆方向に乗って一度引き返さなかったんだろう…)

 

その途中ではプラハ本駅をチラッと拝んだり

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偶然にもこのような歴オタ歓喜のパネルを発見したりしました。

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どうにかヴァーツラフ広場の南端にたどり着き、そのまま歩いて目的の旧市街広場まで到着しました。5kmくらい歩きましたかね。

もともと先に夕飯を食べていこうとして早く出ていたので無事ツアーの人たちとは合流出来ました。

 

そのお土産物屋とは、チェコの名産ボヘミアンガラスのお店「Erpet(エルペット)」。

各国語に対応し、日本語も出来る店員さんがいます。

血の代わりに魔除けになってくれるという綺麗な赤のワイングラスを自分用に購入し、

(私白ワイン派なので全然使ってないですが)

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私のガバガバ卒論を通して卒業を認めてくださった愛煙家の大学のゼミの先生のために透明な小さい灰皿を購入しました。

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この時はお会計が免税になる額に達したので書類を書きました。

免税というのは、免税店では税金がかからないのではなく、一定額以上使うと税金分を返金してくれるシステムがありその手続きのために書類を用意してくれる店のことを言います。

返金を受けるには書類に記入し、空港の窓口に持っていったり郵送して申請しなければなりません。

返金も、その場で手数料引かれても現金での返金か、あるいは数カ月かかってもクレジットカードから銀行口座への返金か選べます。

ちなみにこの時私は旅行を終えて5日でサークルの同期と卒業旅行で水戸・大洗ガルパン聖地巡礼に行く予定があり、現金がすぐ必要だったので前者にしました。返金はユーロなので、それを日本円に替えるのにまた手数料がかかるので腹立たしくはありましたが。

 

その後はまたツアーから離れてショッピングと夕飯でした。夕飯は手軽にヴァーツラフ広場の北端にあるスタンドでソーセージとパンとホットチョコレートで済ませました。

折しもまだ寒い3月頭、ホットチョコレートが冷えた体に沁み渡りました…。

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その後は実はホテルの部屋にツアーで一緒の仲良くなった女子(前日のウェイグループとは別)をお招きして飲みなどドキドキイベントがあったのですが、まぁ私の不甲斐なさのために何事も無かったですハイ。LINEは交換したけど。

 

 7日目は帰路。プラハヴァーツラフ・ハヴェル国際空港から行きと同様モスクワ経由で帰国しました。

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プラハを昼に、モスクワを夜に出て機中泊でした。

人生初の機中泊では全然寝付けず、フラフラにながらもずっと起きていたのですが、おかげで夜明けには魂を洗われるような絶景が見られました。

BGM: https://youtu.be/_rjc0G1qWXA

(崩壊する瀬戸際のもうどうにでもなーれ的な雰囲気でのやたら感動的なソ連国歌)

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8日目の午前に成田空港に到着しました。

日本の海岸線や山々、成田空港の「おかえりなさい」の文字を見た時は感動でした。

 

その後はちょうど大学のサークルの活動日だったので、その足でわざわざ大学に寄ってお土産を配りに行きました。大学周辺の登り坂が満載のキャリーケースを持った身には非常に酷に感じられました。

いやぁ、左側通行だったり、自販機がそこら中にあったり、異様な人の多さに心底驚いたのが昨日のことのようです。

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大学で一息ついて飲み食いした、セブンイレブン綾鷹と明太高菜しらすご飯が異様な程に美味しく感じられました。人間なかなか祖国や地元からは離れられないのだなぁ…と考えさせられました。

 

そうして旅行は大成功に終わり、私はますます中欧への愛を深めることになったのでした。めでたしめでたし。

 

 

これにて第1次中欧旅行はおしまいです。

長々となってしまいましたが、お楽しみ頂けたでしょうか?

 

これからは第2次旅行の模様を1日1記事にして書いていきたいと思います。

が、フォロワーの方から「あなたの中欧に関しての知識をブログで披露してはどうか」との提案を受け、現在私が非常にその気になっていますので、次の記事はその第1弾としようと考えております。

 

いや、ほんと今回長すぎたし詰め込めすぎたので次回からどうにかします。旅行記と薀蓄語りを分離出来れば実際一記事ごとの文量は激減するので。

 

それではまた次回!

Eiger中欧旅行記①

超久々の更新です!祝杯!

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はい、大っ変長らくお待たせいたしました(三跪九叩頭)

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生きてます。旅行は無事に何事もなく楽しんで帰ってきてます。

 

自分と同じように中欧を旅しよう!と思う人が使えるような旅行記を書きたい…と考えて納得できる物を書こうとしたらキリがなくなりました。あと旅行から帰ってきてからあまり調子が優れず(Twitterのフォロワーからは魂を置き忘れたとお言葉を頂きました)、文章を書く気力が無く今日までダラダラとしてしまっていました。おクスリが増えたり変わったりしていくし、誕生日の予定はメンタルクリニックだよやったね。

まぁTwitterには毎日いましたし、これを熱心に読んでくださる方は絶対フォロワーですから大丈夫だろうとは思いますが。

そもそもTwitterでも旅行記書いてますしね。そっちも不調で、まだ3日目の前半あたりですけど。

 

さて今回は予告通り、手前味噌ではありますが、事前に組み立てていたこの中欧旅行のプランをご覧頂こうかと思います。

 

ここを書いてるのは8月27日の私ですが、プランの大半の記述は6月21日の行きの飛行機の時点で済ませていました。えらいぞ前の私。いや、それだけに2ヶ月も何してたんだよお前って話ですけどね。まぁ何もしてなかったんですけど。

 

なお、私の性分と、失敗するわけにはいかない海外旅行だという不安からここまで細かく決めていますが、結局書いたことの7割くらいしか実現していません。

これを成功と取るか失敗と取るかは人により評価の分かれるところでしょうが…ともあれ、危惧していた体調不良で1日寝込むとか、飛行機や特急を逃すとか、事件や事故に巻き込まれるということは無かったです。

まぁ、私の経験上そういうのは心配してるうちは大丈夫です。何も考えなくなった途端に取り返しがつかない事態が起きます。

 

それではどうぞプランをご覧ください。時間は全て現地時間となっております。

まずは先に旅行会社(HIS)から貰ったプランを。

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これは航空機と宿泊先しか決まってないフリープランなので、これに自分で肉付けをしたものがこちらです。めっちゃ細かいですよ。

 

1日目6/21(東京→ブダペスト)

自宅→上野

京成上野8:50発→成田空港9:35着 京成スカイライナー

10:00チェックイン

成田空港12:00発→モスクワ、シェレメーチエヴォ国際空港16:10着 アエロフロート・ロシア航空SU261便

モスクワ18:00発→ブダペスト、リスト・フェレンツ国際空港19:35着 アエロフロート・ロシア航空SU2468便

リスト・フェレンツ空港→ホテルHunguest Millennium 送迎車

 

2日目6/22(ブダペスト)

9:00頃 ホテル発

王宮→漁夫の砦→マーチャーシュ教会→軍事歴史博物館→国会議事堂→ファルク・ミクシャ通り→マクドナルドブダペスト西駅店→アンドラーシ通り→恐怖の館→英雄広場→聖イシュトヴァーン大聖堂→ヴァーツィ通り→カフェ・ジェルボー→中央市場→ゲッレールト温泉→レストランMAGYAR QTR(夕食)

20:00頃 ホテル着

20:15 大平原トラベル社現地ツアー参加 ホテル発

ドナウ川夜間クルーズ

ゲッレールトの丘から夜景鑑賞

22:30〜23:00頃 ホテル着

 

3日目6/23(ブダペスト→ウィーン)

ホテルHunguest Millennium発→Nagyvárad tér駅→トラム24番→ブダペスト東駅(Keleti pályaudvar)

ブダペスト東駅発→ウィーン中央駅(Wien Hbf)着

 ウィーン中央駅→ホテルPrinz Eugen

ホテル→軍事史博物館→カフェ・ザッハー→


バーデン(温泉&ホイリゲ)もしくはグリンツィング(ホイリゲ)→ホテル

 

4日目6/24(ウィーン)

ホテル→シェーンブルン宮殿→ローゼンベルガー(昼食)→カフェ・デーメル→

プラーター公園(観覧車)→プラフッタ(ターフェルシュピッツの夕食)→ホテル

 

5日目6/25(ウィーン→プラハ)

ホテル→ウィーン中央駅(徒歩)

ウィーン中央駅→プラハ本駅

プラハ本駅→トラム9番→Kavalírka駅→ホテルKavalír

ホテル→プラハ城→カレル橋→旧市街→ビール風呂体験→ウ・カリハ(『兵士シュヴェイクの冒険』の聖地のレストランにて夕食)→ホテル

 

6日目(プラハプルゼニ)

ホテル→プラハ本駅→プルゼニ本駅→プルゼニュスキー・プラズドロイ醸造所見学→プルゼニ本駅→プラハ本駅

プラハ本駅→ヴィシェフラト観光→プルゼニュスカー・レスタウラツェで夕食→旧市街でお土産購入→ホテル

 

7日目(プラハ→東京)

9:00ホテルチェックアウト→予約空港タクシー→プラハヴァーツラフ・ハヴェル国際空港

プラハ12:55発→モスクワ16:30着 SU2013便

モスクワ19:00発→機中泊 SU260便

 

8日目(帰国)

成田空港10:35着

成田空港→京成上野→上野→自宅

 

以上です!

準備期間の間、このガイドブックや色んなサイトを穴が空くほど読み込んで必死に練ったプランです。特に1冊目は前回の中欧旅行からお世話になりました。これは読みすぎてページが剥がれ落ちました。

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この旅行記に拘るのは、中欧の魅力を伝えたいという思いもありますが、それ以上に、もし同じように中欧に行きたい人がいたら、その苦労を少しでも減じてお役に立てればという一心からです。なので次回から紹介のために画像やリンクが溢れます。多少は詳しくなったので、ウィーンやブダペストプラハなら少しはガイドの真似事が出来ますよ!実際ちょっとしたんですが、そこはウィーン編をお楽しみに。

 

さて、地味に困ったんですが、ブダペスト→ウィーンとウィーン→プラハの特急の時間が、現地に行くまで分からないんですよ。
その特急のチケットとホテルのバウチャー(日本語なら予約確認票、でしょうか)が現地の旅行代理店からホテルに預けられていて、チェックインの時に初めて貰えるので、計画時点では分からなかったんです。地味に弱りました。
ブダペスト編でまた後述しますが、事前の旅行会社の説明では、行きのブダペストの空港からホテルまでの送迎ドライバーから受け取ることになってました。(憤怒)
しかもその4月の予約時点でチラッと聞いた説明を忘れて、旅行数日前にまだチケット届いてないんですけどと旅行会社に電凸しちゃいました。(これは完全に私のせい)(逆ギレ) 

 

一番弱ったのは、この旅行の目玉にしていたプルゼニプルゼニュスキー・プラズドロイ醸造所見学をどこに持ってきたらいいか分からなかったことです。

醸造所の見学は時間が決まったツアーに参加する形で、公式サイトにそのツアーの時間は書いてあるのですが、醸造所にはチェコの観光に使える2日間のどっちの日に行けばいいのかという問題です。

2日間と言っても前の日はウィーンからプラハに移動してくる日なので、実質1日半です。醸造所のあるプルゼニプラハから特急で1時間半くらいで行けます。もしウィーンからプラハに行ってそのままプルゼニに行ってもツアーに時間的に間に合うようならそれで良いんですが、間に合わないならプルゼニは後の日に回すしかありません。

で、プラハの観光の予定を前の日の残りと後の日のプルゼニから帰った残りの時間で分割しなければなりません。

これが大きいので、ウィーン→プラハの特急の時間が何時なのかは事前に知っておきたかったのですが…。

実は、特急の時間は①8時〜11時、②11時〜14時、③14時〜17時という感じで指定でき、私は「朝ホテルから観光してまたホテルに戻ってそこから駅に行くのはダルくね?」という理由と、プルゼニに行く事情から順番的に最後になるプラハでの時間を稼ぎたいと理由から、次の都市での時間が長く取れる①を選択していたのですが、8時〜11時というだけで何時何分かは分かりませんでした。ガバガバ計算ではありますが、その中でも前寄りならプルゼニは前の日に行けるし、後ろ寄りなら行けないとの見立てをしていました。

まぁ、間に合ってほしいけど多分間に合わないだろうなーとは思っていて、計画でも間に合わない前提だったのですが、結果的には間に合いませんでしたので後の日になりましたね。詳しくはまたその編で。

 

これで今回の旅行記は以上になりますが、次回からは旅行記を1日ごとに綴っていきたいと考えております。今回のように意地でも投稿はしたいと考えておりますので、どうか気長にお待ちくださいますよう…。

 

ここからは雑談となるのですが、8/17に講談社現代新書から『ハプスブルク帝国』という素晴らしい新書が出ましたので皆さん買いましょう(ダイレクトマ-ケティング)

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ハプスブルク家の歴史を、スイスの地方豪族時代から現在まで網羅しています。これまで「オーストリア帝国」や「オーストリア=ハンガリー帝国」の歴史本はありましたが、「ハプスブルク家」としての通史は日本では研究の難しさから存在しませんでしたので、その点で本当に貴重な一冊です。

図表や参考文献リストの充実ぶり、新書というお手軽さから、控えめに言っても「神」な本です。や、1000円ぐらいで入手できていいもんじゃないですよ。3000円でも安い。従来の定説を受け、現在最新の学説や研究成果を教えてくれます。これが3年前に、私がハプスブルクに目覚める時にあれば、と思いますし、今そのような環境にある学生にこれがあることを考えると羨ましい限りです。間違いなくハプスブルクに関心がある日本人の間でのバイブルになる本だと思います。

病気になってから主に目眩で前よりずっと本を読むのが大変になっていますが、これは意地でも最初から最後まで読みたいと思い枕元に置いています。

私のような人間には特に効くのですが、最後は「ハプスブルク君主国に対する今日の再考・再評価の動きに行き過ぎがみられることに、注意を喚起しておきたい」と無闇なハプスブルク礼讃にもしっかり警鐘を鳴らして終わります。そこまで良いもんでもねぇぞってわけですね。まぁ、そこまで折り込んでも好きなわけですが。

 

では、今回はこの辺りで失礼したいと思います。それでは!

Eiger中欧旅行記⓪

こんにちは、Eigerです。

今回は私が2017年6月21日から28日まで7泊8日の日程で行った中欧三国、オーストリアハンガリーチェコへの旅行記を書いていこうと思います。

かなり微に入り細に入り長くなりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

 

まず、そもそもなんでこの三ヶ国に行くのかというお話から(今回それだけで終わります)。それは私がオーストリア=ハンガリー帝国を愛しているからです。オーストリア=ハンガリー帝国は1867年〜1918年にかけてヨーロッパに存在した国です。ヨーロッパに燦然と君臨したハプスブルク家による約650年にもなる帝国の最終形態とも言うべき存在です。

 

…と言えば聞こえは良いですが、実際には過去の遺物。敗戦に次ぐ敗戦による妥協の産物であり、民族ごとに国を持つナショナリズムという当時の風潮に真っ向から反して「諸民族の牢獄」と呼ばれた時代遅れの多民族国家オーストリアハンガリーが2つで1つの国家「二重帝国」の内政は互いに自らの既得権の確保と足の引っ張り合いに躍起になり、戦争になっても盟友ドイツの足手まといになり敗戦し敢えなく帝国は滅亡し領土は八つ裂きに…というダメダメっぷり。

 

しかし、疎まれていたはずの帝国がいざ無くなってみれば、かつて帝国が存在した中欧やバルカン半島には恐怖と絶望の波に飲まれてしまいました。ヒトラーナチスドイツやスターリンのソヴィエトロシアという人類最凶の双璧とでも言うべき国家に交互に蹂躙され、暴力と悲しみの嵐が吹き荒れました。帝国と同じ多民族国家であり、領域的にも重なる部分が大きかったユーゴスラヴィアの解体は、昔は同じ「臣民」「国家」だった諸民族を引き裂いて民族浄化という地獄を生み出しました。

 

確かに各民族の国が持てなかったという点では帝国は「牢獄」であったかも知れません。しかし、ドイツとロシアという二大国に挟まれている上に飛び抜けて有力な民族がいないという地理的な条件や、帝国が存在する内は内戦や虐殺など凄惨な事態が起こらなかったという歴史的事実は、むしろ帝国は諸民族を守り育んだ「ゆりかご」という側面があることも示しています。

また、帝国が存在する間の諸民族は「自治」は望みましたが「独立」を望んではいませんでした。諸民族にとり、自らに制約を課しつつも安全を保障してくれるハプスブルク帝国は厳父のような存在で、息子たる彼らは親の庇護なしには自らがドイツ、ロシア、イタリア、トルコといった四方の列強に瞬く間に飲み込まれ、今ある自らの自由度や立場といったものを損なうだけだとよく分かっていたのです。

 

内政に関しても、帝国の必ずしも効率的とは言えない体制でも、オーストリアの優秀な官僚は帝国各地に列強国として恥ずかしくないレベルの教育やインフラを齎し、文化を花開かせ人口の爆発的増加(1800〜1900年のブダペストの人口は約8倍増加)や地域ごとの強みを活かした産業の育成を享受させました。

 

特に音楽、絵画、科学、数学、哲学に関しては、19Cから20Cへの「世紀転換期」には世界史上に特筆されるべき発展が見られました。有名どころをほんの少しだけかいつまめば、音楽はシュトラウス(2世)、絵画はクリムト、哲学はフロイトといったところでしょうか。ウィーンの社交場たるカフェからは綺羅星のごとき輝きが放たれていたのです。

しかし、それもナチスユダヤ人弾圧や、帝国の崩壊でウィーンの求心力が無くなったことで各地からの人材が散り散りになってしまい終焉を迎えます。もっとも、旧二重帝国出身の科学者らの多くはアメリカに逃れて、そこでマンハッタン計画というトンデモナイ物に欠くべからざる絶大な貢献をしたりしているのですが。

 

そんなわけで、失くしてから気付かされたところの多い二重帝国の多様性と哀愁のある魅力に大学2年生の時の私はコロッとやられてしまったのでした。それまでも小2から歴史好きで高1から世界史好きで高3から近代ヨーロッパが好きで、大学も史学科だったのですが、この時に読んだ『ハプスブルクの実験』という本を読んで二重帝国への恋に落ちました。

まぁ、突き詰めれば戦争ばかりのヨーロッパ史は面白くて、二重帝国って国名が厨二心をくすぐるじゃん?という理由にはなろうかと思いますが。

私は卒業論文を二重帝国で書こう!と決めて、二重帝国によるボスニア=ヘルツェゴヴィナの開発を取り上げました。

(※この文章を読まれてもお察しかとは思いますが、卒論はサークルで遊び呆けていたためにとても人様には見せられるものではないクオリティに仕上がりました)

 

そしたら断固卒業旅行にはオーストリアに行きたい!と思っていたところ、ちょうど近所のHISで「添乗員と巡るオーストリアハンガリーチェコ中欧3国7泊8日ツアー」(的な文言だった)を見つけて一目惚れし単身申し込みました(ついてきてくれるような恋人や友達がいなかったとも言う)。

この旅行が結果的に大当たり。2016年2月〜3月の第1次中欧旅行の一瞬一瞬は感動の連続で瑞々しく、一生の思い出になりました。

 

しかし4月は就職で、次にこんな旅行に来れるような自由はあと何十年になることやら…と思っていたのですが。

いや、それが案外早く来るもんですね。人生何があるか分からないものですね。

 

中欧の眩しい思い出を胸にウッキウキで入った会社はとんでもないブラック企業でした。

ひたすら頑張り責務を果たすことを強いられ、私は馬鹿正直な性格でそれを全身全霊を越えて励み続けた結果、たった3ヶ月で心身は完膚なきまでに破壊されました。

微熱、頭痛、腹痛や手足の痺れや目まいに動悸に息切れが収まらず、しょっちゅう猛烈な悲しみと吐き気に襲われ、極端な過眠/不眠になったり一時期味覚や集中力が無くなったりしました。

当初はこの体調不良を自分の自己管理の甘さと自分を責め大量にドーピングをしていました。が、もう手遅れになってから辿り着いたメンタルクリニックでは「君このままじゃ死ぬよ?」という言葉と「自律神経失調症適応障害」という診断を受けました。それが今から1年前の6月末のことです。

超長時間勤務や深夜の不規則な勤務で、人の筋肉や内臓や感覚を司る私の自律神経系は致命傷を負っていたのです。苦しんだ末の自殺か、不調が引き起こす事故死か、はたまた心不全等の突然死か、どれがいつ真っ先に来るか分からないという状況でした。

それでも家族や友人や心ある同僚のサポートによりどうにか7月末に生きての退職に成功しました。

なおその心ある同僚の方もその数日後に勤務中に無理が祟り吐血して倒れ退職となっています(幸いすぐ恢復されましたが)。

 

ちなみにこの同僚の方が只者ではなかった。

当初私のことを「チェコハンガリーが好き」とだけ聞いていて「東側陣営の方かな?」と誤解していながらも、私の私物入れのエコバッグの双頭の鷲を一目見るやハプスブルクの臣民と見抜き、歴史軍事ゲーム飲食の趣味が極めて近しい上に私よりもずっと博識で、私より5つ年上のその方は今や私がフランツ・ヨーゼフ帝と同じくらいに敬愛する「師匠」となっています。一瞬で打ち解けましたし、同じ地獄で苦楽を共にして、お互いの存在という唯一の戦果を得たという認識や互いにマニアックな趣味をしているという自覚からかけがえのない人同士となりました。

正直自分が女だったらプロポーズしてたくらいですね。

 

まぁ師匠はさておき、ボロ雑巾になった私にはもはや社会生活は不可能で、自宅でずっと寝たきりの生活でした。頭痛や動悸などから集中力や好奇心が湧かなくなったため読書や安定した睡眠やゲームすら不可能で、全身が痺れてほとんど身動きできず、横になって携帯でTwitterをするくらいしか出来ることがなく、何に対しても無関心になり、二重帝国や中欧を好きな気持ちすら忘れていました。抜け殻というか廃人ですね。80過ぎた祖母の方が余程元気ですよ。

 

しかし、徐々に調子が改善したことと「二重帝国臣民」としてのTwitterアカウントを保持し様々な交流や知見が得られたことで徐々に愛情は復活していきました。

そして2017年4月に、メンタルクリニックを変えたら新しいところで処方された漢方薬により痺れが消えるなど劇的に症状が改善したこと、そして同時期に診察を受けていた内科から内科的に内臓へのダメージが無いと分かったことにより、私の足は再びあのHISに、中欧に向いたのです。

時間はニートなので腐るほどあり、健康的にもとりあえず動けるまで回復し、金銭的にも幸い都合がついたこと(お金を遺してくれた祖父には土下座)から、もう私の中ではやることは一つでした。

 

そう、あの愛しの中欧へ再び。死地に瀕しても消えなかった恋を実らせにいく。それしかなかったのです。

こうして今回の第2次中欧旅行は決定しました。

 

さて、今回は前回と主要な行き先や日程、旅行会社や往復の航空会社こそ同じですが、前回が全部で30人くらいの添乗員さん同行のツアーだったのに対して今回は1人ぼっちの旅行、各都市間の移動が前回はバスだったのに対して今回は鉄道という違いがあります。

 

いやー、何から何まで手配して案内してくれて、ネットやガイドブックを読み漁ったりしても出てこないような情報がポンポン出てくる添乗員さんが神様みたいに思えますね。旅行が決定してから10週間くらい調べれば調べるほどその思いが強くなってきました。

 

今は成田→モスクワの暇な機内でこれを書き殴っていますが、9〜10時間かかるこの飛行機の時間は本当に苦痛なものですね。中欧に行けるからと分かってはいてもこれはなかなか耐えがたいですよ。

 

ほとんど寝たきりの生活を1年も送り、体力筋力の低下は極めて深刻ですが、最近はどうにか週1で通っているプールで500mをほぼノンストップで泳げるくらいにはなりました。

 

今はまだ薬を大量に飲んでどうにか日常生活が送れる程度で、睡眠薬を飲まないと眠れないなど体調的に万全とは言いがたく、疲労も鑑みると旅行には常に寝過ごしのリスクが付き纏います。現金も最低限だけでクレカも月々10万円までしか使えず、特急ならまだしも万一帰りの飛行機を乗り逃すと最悪その場で詰みという不安な状況です。

ですが、不安以上に感じる中欧へのこの胸の高鳴りを信じ精一杯楽しんでこようと思っている次第です。

 

さあ、いよいよモスクワ着です。大好きなめざせモスクワを流しながら突入します!

 

今回は旅行記とは名ばかりの内容になってしまいましたが、次回は旅行全体のプランを投稿する予定です。頑張って書きますので次回以降も読んでくださいね!

 

HoI4二重帝国AAR13 1946年(終)

「ようこそお越しくださいました、それでは今年もよろしくお願いします」

 「この46年が最終回になる。最後までよろしくな」

「前回は大陸から日本軍を叩き出した後に日本本土へ強襲上陸を成功させたものの、関門海峡豊後水道のラインから先に進めなくなってしまったところでしたね」

「第一波が突破に失敗したから第二波の上陸を準備している。もうすぐ完了するぞ」

 

「1月3日、第二波の青森への強襲上陸が成功しました」

「よし、ガラ空きだな。すぐに南下する部隊と北上する部隊と二手に分かれて進撃を開始しろ」

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「さて、これで敵が動くかな…ん?」

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「1月7日、フランス軍が近畿に強襲上陸しました!」

「これは好機だ!第一波の部隊は進撃再開!」

 

「突破に成功し本州に渡河しました!」

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「フランス軍はさらにまた部隊を上陸させたようだ。このまま一気に決めるぞ」

 

「突破した後は脆かったですね。1月23日、東京陥落です」

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「さらに攻勢を続け、日本本土をほぼ占領し1月27日に日本は我が国に降伏した」

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「講和会議ではなんとなく日本本土を取ることに決め、本州の大半と九州を取りました」

「残りは日本に残ったり中国に持っていかれたりしました」

「よし、これでいずれ生まれる中の人がオーストリア人になるな!」

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「さて…これをもちましてプレイを終了したいと思います」

「まだ連合とは戦っていないが、我々はあまりにも連合陣営を強くし過ぎてしまった。今から連合を抜けて敵に回しても勝ち目がない」

「ドイツと日本が早期に死亡したためアメリカがまだ連合入りしていないので、連合のままアメリカを叩くことも考えたのですが」

「中道国家の我が国でも、連合陣営にいると宣戦布告が出来なかったのだ。盟主のイギリスが民主主義国家だからだろうか?よく分からないが」

「かと言って我が国単独でアメリカに勝てるかと言うと多分無理ですし、万が一途中でアメリカが連合入りするとどうあがいても詰みます」

「連合を敵に回すと、英仏はもとよりロシア(ソ連降伏後イギリス傀儡)も敵に回るのが辛いな」 

「というわけで、現実的に倒せる目ぼしい敵がいなくなってしまったので、これをもちまして終了といたします」

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「ではここからは感想や振り返りだ」

「まず…このプレイの目的だった『M=R協定のせいでソ連に宣戦布告されるのか?』は『されない』ということが分かったな。これから当MODで帝国をプレイする方は安心されたい」

「とはいえ、どこかでドイツやソ連とは雌雄を決しなければならないでしょうし、まともに軍拡競争をして勝てる相手ではない以上、大筋では今回私がやったような路線でいくしかないと思います」

「帝国が存在していることによるドイツの弱体ぶりは正直想像を越えていた。当MODの独ソ戦はまず間違いなくソ連が制するだろう」

 

「それにしてもソ連と言えば、ドナウの奇跡は本当に奇跡でしたね…」

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「あれは1942年のことだったな」

ソ連軍にチェコ北方の戦線を完全に突破され、ウィーンが陥落した時ですね。一時敵はクロアチアまで達していました」

「この大逆転勝利で墺ソ戦の流れが決した。この後はズルズルと押してただけだったものな」

「同じことをもう一度やれと言われても無理です。そういう意味でも奇跡です」

「しつこくなるが、このプレイはテストプレイもやり直しも無しの一発勝負だった。この奇跡を起こした日、リアルで中の人はその日の間震えが止まらなかった」

 「実際のところ、帝国が安定してソ連に勝てるか?と言うとちょっと微妙だと思います。滅亡覚悟のガチバトルになるので、そこはゲームとして楽しいかと思いますよ」

 

「最後にもう一度このMODの宣伝をして終わりましょう。HoI4とジョニー様のMOD、

『Austro-Hungarian Empire』

http://steamcommunity.com/sharedfiles/filedetails/?id=862385110

『+JP Karl Ⅰ』

http://steamcommunity.com/sharedfiles/filedetails/?id=921747941

をよろしくお願いします!今後もまだまだ更新し改良されていく予定です!なお、導入には日本語化MODを既に入れている必要があります」

「ま、日本人プレイヤーで日本語化を入れない人がいるとも思えんが…」

「中の人も今後どういう改良のお願いをしようか悩んでいるところです」

「また、HoI4に留まらずオーストリア=ハンガリー二重帝国の魅力がより多くの人に知られることを願ってやまない」

 

「さて、次の更新からは中の人が当ブログを始めた本来の動機である中欧旅行の話をしていこうと思う。願わくばそちらもよろしくお願いしたい」

「これを書いている2017年6月13日現在で、旅行まであと1週間に迫っています。期待と不安でいっぱいになりながら、諸々調べ物や予約や計画をしている最中です」

「「ここまでご覧頂いた皆様、本当にありがとうございました!!」」

HoI4二重帝国AAR12 1945年

「さて、今年もよろしくお願いします」

「1945年というと、やはり節目の年に感じられるな」

「正直なところソ連とのガチバトルを終えてからはダルいだけなので、さっさと日本を倒してしまいましょう」

 

「2月11日、かねてから進めていた満洲まるごとの大包囲作戦を成功させました」

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「よし!どう低く見積もっても中に30個師団はいるはずだ。すぐに仕留めろ」

装甲軍は殲滅には加わらず、どんどん先に進ませます」

 

「2月22日に満洲国が降伏しました」

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「これで包囲下の敵は完全に補給切れだ。降伏する前でも補給の需要を賄いきれていなかっただろうがな」

 

「3月4日、我が国の天津租界(脳内設定)を解放しました」 

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「ロシアから進撃してるからロシア領の扱いになっているがな」

 

「3月20日、南京を解放しました!」

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「そのまま装甲軍で爆進し続けて…」

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 「4月15日、ついに中国から日本軍を完全に叩き出しました!」

「?妙に歯応えがないな」

「日中の前線には大量の日本軍が張り付いているかと思っていたのですが、10個師団もいませんでしたね。もしかすると本土防衛のために自分から撤退したのかも知れません」

「AIにしては賢明じゃないか。よし、日本本土を落とすぞ!」

 

「6月1日、上海まで本土からはるばる海軍の全艦艇を回航してきました」

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「ちなみに海軍だが、今や空母7隻戦艦5隻に達し、潜水艦は60を超えるぞ」

「精鋭の山岳兵に天津→長崎の上陸作戦立案を命令しておきました。しばし待ちましょう」

 

「6月12日、ソウルを火の海に…もとい、解放しました」

「遠征で辛いのは分かるが住民へのおイタは程々にな?」

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「そのまま7月3日には釜山に達し、朝鮮半島全域を解放しました」

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「しばらくやる事も作る物もないのでボケーッと太平洋を眺めていたのですが、連合軍がポートモレスビーを失陥していました」

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「恥を知れ恥を!」

 

「そうだ、せっかくだからアレやりませんか?インフラ大整備」

「いいぜ〜、やろうやろう」

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「今インフラをMAXまで整備する意味は無いに等しいんですけどね」

「インフラ整備は統治者の義務にしてロマンだよ」

「高速道路や弾丸列車が帝国領内を駆け巡るんですね」

「戦争終わったら帝国領を旅して、特急電車に乗ってピルスナーウルケル片手に車窓眺めてぇな〜(今度やる)」

 

「さあ9月5日(誕生日)、いよいよ我が軍が長崎に上陸して日本本土に帝国旗を打ち立てました」

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「ついにここまで来たな」

「例によってナチが前線にうろついてます。どうもこのナチゾンビ、枢軸陣営からも連合陣営からも軍事通行権を貰っているらしく、どこにでも湧いてくるのですよ。まぁ通行権があるのはイコール宣戦布告が不可能ということでもあるので、ある意味人畜無害なのですが…」

「えぇ…(困惑)早く往生して、どうぞ」

 

「申し訳ありません、不覚を取りました」

「どうした?」

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「九州は確保出来たのですが、有力な敵が対岸にいて本州と四国へ進めません。三回攻撃してみたのですが、いずれも失敗しました」

「ええいくそっ、ぬかった。また新しく別の場所に上陸し直さなければならんな。時間がかかる」

「これはちょっと厄介ですね」

「人的資源が惜しい。これ以上の無理押しは禁じ、人命第一でいく」

「数では圧倒しているのですが、地形が最悪です。渡河攻撃扱いになる上に、敵と一ヶ所でしか接していないため戦闘幅が狭く、実質的に有効な戦力は同等以下になっています」

「この時点で既に12月16日、今年中の日本降伏は完全に不可能になったな」

「まぁ、来年には確実に降伏させられるでしょう」

 「というわけで、次回で日本を降伏させ最終回としようと思う」

「最後までよろしくお願いいたします」